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書評:「朝鮮史」講談社現代新書 

2014年03月29日 23時59分59秒 | 書評(政治経済、歴史、自然科学)
講談社現代新書 「朝鮮史」 梶村秀樹著 (新書東洋史10)


 本書の特徴は、表題は「朝鮮史」だが、近代に比重を置いているということである。近代の日本は、戦争をするたびに、海外に植民地を増やして行った。それらの一つ一つは、「合法的」な外観を持つ。これを「自由主義史観」の人たちが利用して「朝鮮は植民地ではなかった。韓国併合は合法的だった。」という主張をしている。だが実態はどうだったのだろう。


 前近代の朝鮮 :「太古から高麗なで」「李氏朝鮮」この二つの章は、朝鮮の近代史の「序章」として叙述されている。


 近代、現代の朝鮮:「民衆意識の成長」「国家は奪われても民族は滅びぬ」「『皇民化』にうちかつ力」「8・15解放後の30年」この四章は、特に「日朝関係史」を叙述している。


 以上が本書の構成だが、本文から、日本に関するものを中心に、引用しよう。

 1、「閔妃虐殺事件と初期義兵闘争」

「出先官憲は、1895年10月、現職公使三浦梧楼の直接指揮のもとに、駐留軍人と大陸浪人(自発的にアジア侵略の尖兵となった民間人)を動員して王宮に押し入った。しして閔妃を虐殺したすえに石油をかけて焼き払ってしまうという、世界の帝国主義侵略史上にも他に例をみない、とんでもない乱暴な事件をひきおこしてしまった。・・・直接の計画は三浦ら出先官憲の独走であった。国際世論の非難を恐れた日本政府は、三浦らを召喚して形だけは裁判にかけたが、ほとぼりをさましてのち、『証拠不十分』として全員免訴にしてしまった。」

 2、「日本による植民地化」

「(日本軍は)朝鮮に兵を進め、1904年『日韓議場書』を強要した。・・・系統的な内政介入を法的にうらづけるためのものだもあった。・・・同年8月には、第一次日韓協約を強要し、朝鮮政府内の枢要な部署に日本人『顧問』を送りこんで、実権を掌握させた。・・日本人の土地所有も合法化された。・・・朝鮮人民を動員して、にわかに幹線道路が軍用として敷設されていった。・・・これらの既成事実の総しあげとして、実質的には朝鮮を排他的領有下におきべく日本が準備したのが、(日露)戦後の1905年11月の『乙巳保護条約(第二次日韓協約)』であった。」

3、「3・1運動」

「経済的側面からいえば、日本の朝鮮植民地化は、世界史的条件に規定されて独占資本の成熟をまたずに帝国主義の側に立った日本軍国主義が、独占資本の膨張運動を先取りしたものであった。・・・(1919年3月1日)全国218の市郡のうち217までにおいて、その土地に住む人々が何らかかの行動を自主的に組織した。延べ参加人数は数百万、実質的には当時二千万の全朝鮮人が主体的に運動にかかわった。」

4、「15年戦争と朝鮮人」

「朝鮮人の日本への強制連行は、1939年の『募集』に始まり、形式上は、42年以降の『官斡旋』、44年以降の『徴用』と、三段階に区別されるが、動員人数が天下り的に割り当てられ、面の吏員がひざづめ談判にきたり、はなはだしくは田畑で働いている農夫を捕えて、行き先も告げずにトラックに乗せたりしたのであって、『契約書』があろうがなかろうが、戦時インフレ経済に入るや、日本の青年の徴兵によって生じた労働力の不足を、このような手段で埋め合わせることによって、日本独占資本資本は生産拡大をとげたのである。」

5、8・15解放後の30年ー分断の固定化

「分断の発端は、北緯38度線を境とする米ソ両軍の分割占領にある。・・・分割占領自体は、日本軍の武装解除のための便宜的分担にすぎず、まだ一時的なののにすぎず、まだ一時的なものに過ぎないと思われていた。それを分断国家体制までもっていってしまった根因は、冷戦体制下の外力、とりわけアメリカの思惑からする介入であった。」

 その他に、関東大震災後の朝鮮人虐殺、さまざまな対日抵抗運動、日本の植民地政策の詳細が、叙述されている。新書版とは思えないほどの充実した内容だ。




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