岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

「ブナの木通信(「星座69号」より)

2014年03月30日 23時59分59秒 | 作品批評:茂吉と佐太郎の歌論に学んで
「ブナの木通信」(「星座」69号より)


 今号も粒揃いの作品が多かったと思います。まずは自己に向き合った作品に注目しました。


  (黙って冷えを感じる歌)

 他人と何かを話しているのでしょうか。異論をはさみたいが、それを静かに飲み込んでいる作者像が浮かび上がります。下の句が作者の心情を象徴する役割を果たしています。


  (こころの空白を埋めようという歌)


 心の空白。何か満たされないものがあるのでしょう。それを負いながら生きている作者です。二首とも作者の思いが的確に伝わって来ます。

 次に時間を切りとった作品。

  (鳥がたゆたい、デジタル時計で時間が測れないという感覚の歌)


 無機質なデジタル時計。それで測れない時間ということは、作者は心満たされる思いで時を過ごしているのでしょうか。


  (夫の遺影のある部屋で『ただいま』と声を出す歌)

  (事故死した青年の部屋の埃の歌)


 亡き人に捧げる歌ですが、表現に工夫が見られます。二首とも特徴ある部屋を設定しているところが効いています。


  (かの人と過ごした日々を思い出す歌)

 
 かの人、が誰かは分かりません。しかし、その分読者の想像をかき立てるところがあります。


  (桜島に灰の降る歌)

  (冬支度する村の歌)

 地方色をよくとらえた作品です。



  (子どもがトウモロコシを食べる歌)


  (裏町の屋台の歌)


・「ブナの木通信」はここまで。最後の二首を、ブログ上で批評します。

 まず一首目。孫を詠った作品ですが、その様子を独特の比喩で表現しているところが、成功しています。

 次に二首目。「裏町の屋台」というのは、やや俗ですが、下の句に、人間の孤独感が表現されています。





最新の画像もっと見る