3・11に思う 9回目の3,11
2011年3月11日の東日本大震災から、9年が経過した。
あの日のことは鮮明に記憶の中にある。急性肝機能不全で緊急入院して命拾いをして、自宅に戻り、パソコンの前に座った時に、激しい揺れを感じた。
東北地方が首都圏の食糧需要を支えており、漢方薬などの医薬品も東北地方に依存しているのも実感した。
個人の問題で言えば、第二歌集の「オリオンの剣」を上梓した直後。短歌新聞社の石黒氏から「短歌新聞文庫の一冊として出版したい」という葉書を頂いた直後でもあった。
当時は民主党の菅直人政権だったが、未曽有の事故への対応が迅速だったと記憶している。
「菅首相がいち早く、ヘリコプターで現場へ向かい、機内で原発の水素爆発の可能性を指摘した。
東電の社員が、福島原発から撤退するというのを、叱責して、留まらせた。
総理自身が記者会見を開き、「浜岡原発の廃炉」と「脱原発」を発表した。」
不十分なところは勿論あった。スピーディーの使用が間違っていたこと、直ちに影響はないと根拠の薄い発表をしたこと。
そのマイナス面を差し引いても、歴史上なかった事故によく対応したと記憶している。
復興は未だ途上だが、3・11を記憶にとどめて、将来につなげたいと思う。
