岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

齊藤茂吉43歳:焼けあとで沢庵を食む

2010年09月07日 23時59分59秒 | 斎藤茂吉の短歌を読む
・かへりこし家にあかつきのちゃぶ台に火焔(ほのほ)の香する沢庵を食む・

 「ともしび」所収。1925年(大正14年)作。 

 茂吉の第6歌集「ともしび」には、火災にあって難儀をしている作者の心情が吐露された作品が多く収録されているが、茂吉自身の言葉によれば次の通りだ。

「大正14年1月7日、焼けた家に著いてから、昭和3年12月に至るまでに作った歌、895首を収めて、「ともしび」と名づけた。焼けた天井に紙を貼って風を防ぎ、友のなさけによる紙帳のなかに籠って寝た。・・・昭和3年11月に父紀一没した。」(「作歌40年」)

 病院の全焼・病院の復興・焼け残った浴場の狭い場所を書斎としての執筆生活・そして養父の死。こういった困難のもとでなった歌集である。歌壇の重鎮、斎藤茂吉が「どん底生活」のなかで作歌されたものである。(出版は戦後)

 火災により家と病院を失い、蔵書も焼けた。書き留めておいた随筆や論文の覚え書きも灰塵と化した。おまけに火災保険も切れていた。正に八方塞がり。こうしたいきさつは、塚本邦雄著「茂吉秀歌・つゆじも~石泉まで・百首」や、岡井隆著「ともしびとその背景」などに詳しいので、そちらにゆずるが、問題は作品の評価である。

 斎藤茂吉の弟子筋にあたる歌人の著書では評価が高い。

「ひとつのちゃぶ台に集まって朝食すると沢庵が焦げくさい。それを< 火焔の香 >といったのは歌人としての力量」、「帰朝した茂吉は< 赤光 >・< あらたま >時代の茂吉ではなかった。」(佐藤佐太郎著「茂吉秀歌・上」)

「焔に焦げた匂い、それを< 火焔の香する >といったのがじつに強く切実である」、「< 家にあかつきのちゃぶ台に >という< に >の重出からもきびしい声調上の緊張が生じている」(長沢一作著「斎藤茂吉の秀歌」)

 だがどうだろう。火災にあって難儀したという背景を知らなければ、こういった評価は成り立たないのではないか。

 塚本邦雄は前掲書のなかでこういう。

「ひょっとすると悲劇的な香辛料の作用を、この臭気は現じたのかも知れない。歌にはそのために、独特の精彩がうまれた」としつつも、「非常事態、極限情況の作は鑑賞の対象とするには不向きであらう。」「虚脱感は・・・かへって< 渋谷川 >の方に著しいのではあるまいか」

 短歌作品を独立した一首としてみるなら、塚本邦雄の指摘のほうが当を得ていると僕は思う。参考に「渋谷川」の一首を書きだしておく。

・家いでてわれは来しとき渋谷川に卵のからがながれ居にけり・「ともしび」






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