・能登の海ひた荒れし日は夕づきて海に傾く赤き棚雲・
「地表」所収。1955年(昭和30年)作。
佐太郎の第5歌集「帰潮」の主題が「貧困の悲しさ」だとすれば、第6歌集「地表」の主題は「自己凝視の深さと透明感のある叙景歌」である。
掲出歌に難解な語は一切ない。見事に景が顕つだけである。しかし、そこに独特の抒情が漂う。
仔細に検討してみよう。
初句・二句と「荒れた能登の海」が表現され、三句以下で穏やかな景が立ち上がってくる。一首の中に転換があるのである。
岡井隆は「星座52号」で、尾崎主筆と対談し、
「佐太郎さんの作品は読んでいるうちに、< あれ、そうなるの? >というところがあった」
と述べているが、まさにこれにあたる。
声調は穏やかである。しかし穏やかでなければならない、とは言わない。現に漢語を厳しく使った弟子に賛辞をあたえているし、次の様な言葉も残している。
「歌は< 響長く >と言うのがよいという私の意見だが、(歌を)作る時はそういうことも考慮しないで、ただ力をつくすだけである。そういうわけで、私の例などは参考にもならないだろう。」(「短歌の本Ⅱ」)
「あるときは切実に、強烈に、あるときは太く大きく、またあるときは微かに、鋭く、すべて生に即して直接に詠嘆しようとしたので、これが叙情詩としての短歌だ。」(「小詩短章」)