「運河の会:東京歌会」2016年2月 於)早稲田奉仕園セミナーハウス
「運河の会」の主要同人(運営委員、選者)は地方在住だ。青森県、秋田県、岩手県、石川県。千葉県在住の運営委員、選者もいるが歌壇ではほとんど名が知られていない。「運河の会」が斎藤茂吉、佐藤佐太郎の系譜をひく結社といきんでみても首都圏では通用しない。
首都圏には窪田空穂の系統、若山牧水の系統、北原白秋の系統、太田水穂の系統。こういった結社、歌人集団が犇めいている。生き馬の目を抜く世界が展開している。それだけに「東京歌会」の役割は重要だ。
しかし斎藤茂吉や佐藤佐太郎の歌論や実作の話をしても理解する人はそう多くない。
「語感の悪いもの」「俗臭のするもの」「意味の不鮮明なもの」「意味のない日常報告的なもの」「美しくないもの」こういう作品が溢れている。『星座』の選者として選歌を任されれば選から外すものばかりだ。
作品の完成度が低い。だから尚更出詠して意見を言い、作品批評をせねばならないと思う。実績を積んで、助言しなければいけないと思う。
だが年功序列の壁は厚い。本人たちが年功序列だと感じていないから、話しが通らない。そかし僕のスタンスは揺るがない。佐藤佐太郎直伝の「星座」の尾崎左永子主筆から吸収したもの、「詩人の聲」で培ったものを、詩歌の普遍的な批評基準として発言するだけだ。
批評基準は前著『斎藤茂吉と佐藤佐太郎』で確立させた。それに尾崎左永子主筆から学んだこと、「詩人の聲」で培ったもの。これで批評眼がかなり鋭くなってきたと思う。
それを運河の会の会員に伝えるには「論」「実作」で、自分の歌境を伸ばして行くしかないだろう。
この日僕が出詠した「闘病詠」は好評だった。50首詠だが、50首の完成度はそれぞれれこの日に出詠したものに匹敵する。「相聞」50首とともに「詩人の聲」の公演にかけて作品を磨いて行きたい。