岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

霧が丘短歌会 2016年2月

2016年02月27日 10時29分31秒 | 霧が丘短歌会
霧が丘短歌会 2016年2月 於)団地集会所


 霧が丘短歌会は少人数の短歌講座だ。「星座」の尾崎左永子主筆から受け継いだ短歌観に基いて、講座を開講している。尾崎主筆は「短歌は定形の現代詩」と言う。僕は「現代の定形詩」と呼ぶ。なぜなら現代詩と短歌は明確に違う。その理由は既に投稿した。ここでは繰り返さない。

 プロジェクト「詩人の聲」で様々な詩人の作品を聞き、詩集を読み、詩人たちと話をした。叙情詩と説明や感想文との違いが、感じとれるようになった。


 こうしたことを講座の中心点としている。だから会員には「1、短歌を多く読む。2、短歌を多く詠む。3、自分の作品を音読する。4、「詩人の聲」を聞く。(詩集を読む)」この4原則を繰り返し強調している。


 熱心な会員はそれを受けとめて、メキメキ上達してきた。叙景歌の得意な会員がいる。心理詠の得意な会員もいる。日常詠、社会詠を盛んに詠む会員もいる。観点、視点が鋭くなってきた。だから講座の中心点はどう作品化するかをアドバイスするのに置かれる。


 はじめは添削することが多かった。初心者の会員には今でもそうしている。だが次第に上達してきた会員にはアドバイスに留めることが多くなった。会員の独自性を殺さないためだ。


 批評基準は僕が出詠する歌会と同様。基準にブレはない。だが今回の講座ではかつてなかった論点があった。暗喩に関してである。暗喩を使った作品を出詠した会員がいたのだ。ここには二つの問題点があった。暗喩が平凡だったこと。前衛短歌は暗喩を多用した。塚本邦雄に顕著だ。だが前衛短歌には思想性があった。初期の前衛短歌には暗喩を使う目的意識と必然性があった。

 しかし思想性を捨て、暗喩の必然性が失われたときに、岡井隆は「前衛短歌は終わった」と言い、塚本邦雄は「自分の作品は自己模倣だ」とカベに突き当たった。この辺りを斟酌しないと暗喩は言葉遊び、模倣となる。ポーズの付け過ぎともなる。

 ここは僕も現代短歌の課題を考えさせられた。塚本邦雄を語る會で福島泰樹の言った言葉だ。

「塚本邦雄の真骨頂は反戦だ。かれは呉で広島の原爆が炸裂したのを目撃している。そういう思想性がないのに技法だけを模倣しても意味はない。」

 これを会員にも伝えた。初心者ばかりの霧が丘短歌会もこういう話が出来るまでになった。これも歌境に進展があったということだろう。


 来月は3月22日の10:00より12:00まで開催。会員募集中。短歌講座は基本月末の第4月曜。出詠2首。受講料一回1500円。入会希望問い合わせは、045-922-5542(岩田自宅まで)




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