日本の戦争は精神主義であった。
例えば満州事変直後の「リットン調査団」に対する軍人の対応がそうである。日本は「鉄道が中国軍に爆破された」と主張したのだが、時刻が合わない。「爆破」直後に現場を列車が通過しているのである。
疑問をただした調査団に対し関東軍の河本中尉は、
「運転士は日本人だから大和魂ですっとばした」
と答えたそうである。(小学館「昭和の歴史・第4巻・十五年戦争の開幕」江口圭一著)
これは一例だが、僕の祖父が見聞きした話とも合致する。
「スポーツのしごきが始まったのは、戦時中からだ。」など。
まさかその反動ではあるまいが、終戦直後は「リアリズム」の時代だった。写真・演劇・映画・文学・・・。短歌も例外ではなかった。
・近藤芳美・
・何につながる吾がいとなみか読まざればただ不安にてマルクスを読む(「静かなる意思」)
・プラカード伏せて守られていく列に吾が血は引きて屋上にあり(「歴史」)
リアリズムというより「思想詠」といえよう。しかし詠まれた年代を考えれば、社会の断面を「われ」に引き付けて詠んでいるという意味では、リアリズムと言える。傍観しているようなところがあるが、これを「自己の客観化」とみるか、「傍観の弱さ」とみるか意見の分かれるところ。
・宮柊二・
・ねむりをる体の上を夜の獣穢れてとほれり通らしめつつ(「山西省」)
・省境を幾たび超ゆる棉の実の白さをあはれつくつく法師鳴けり(「山西省」)
中国戦線に従軍している時の「戦時詠」である。戦争詠のなかでの優れた成果とは篠弘の言葉である。戦争と「われ」の関係が密着しているところに特徴がある。
・窪田章一郎・
・覚めておもふ北ベトナムの空爆に人の命は奪われてゐむ(「ベトナム戦ほか」)
・米国第七艦隊の配置図にあはれ洋中(わだなか)の日本の基地(「同」)
・戦争の歴史にたどる弱者の死北ベトナムの空爆今日あり(「同」)
ベトナム戦争の歌である。当時の日本ではベトナム反戦運動が高まり、沖縄返還・安保反対・憲法改正阻止などの街頭活動も盛んだった。その時点での社会を詠っているのだから、「社会詠」「リアリズム」と言える。ニュースや映像をもとにしているが、「われ」の感じている切実感が特徴である。
これらの歌人が戦後派歌人と呼ばれるのだが、佐藤佐太郎が入れられない理由が分かる。佐藤佐太郎は安保反対の集会を次のように詠んでいる。
・ただならぬ夜の群衆のみつる上やや遠き旗しきりに動く(「群丘」)
リアリズムと佐藤佐太郎の「写実」の違いがわかるだろう。佐太郎のほうが主情的であり、「表現の限定」(焦点の絞り込み)が極限まで達している。