・ベトナムの少年の眼よ斬られたる首よテレビは惡夢にあらぬ・
高野公彦編「現代の短歌」より。岡井隆が「私の短歌戦後史」で語っている「機会詩的社会詠」である。
ベトナム戦争のはげしい頃は、こういった短歌が多く作られた。土屋文明・近藤芳美・宮柊二、そしてこの窪田章一郎。戦後活躍した歌人には、リアリズムの傾向が強い。
敗戦・米軍による占領・全面講和か片面講和か・朝鮮戦争・60年安保闘争・三井三池争議・ベトナム戦争・沖縄返還・70年安保など年表を開けば、政治経済外交問題の連続だった。好むと好まざるとにかかわらず、こういったことに歌人は敏感だった。
いや、歌人だけでなく文学者・芸術家みなそうだったろう。しかも、これらの人々は戦争体験者だった。
ここに挙げた作品は、テレビ映像を題材としている。僕も鮮明に覚えているのは、ソンミ村事件と米兵がベトナム人青年の頭を銃で撃ち抜く衝撃的映像である。戦争が決して恰好のよいものではなく、陰惨なものだということを思ったものだった。
小学生でさえそう思ったのだから、当時の大人たちには大問題だったに違いない。
「角川短歌」の「前衛短歌とは何だったのか」の座談会で語られているが、文学に思想性と主第は欠かせないものだった。このうち思想性は時代や人により濃淡がある。しかし、「主題」はどの時代でも文学に要求されるものだろう。
窪田章一郎の父親、窪田空穂は「明星」に出詠したくらいだから、浪漫派から出発した。大正期に入るころから、「現実的歌風」に転じたと言われるが、背景に「大正デモクラシー」という政治文化の民主主義的傾向が背景にあったのだろう。
息子の章一郎もやはり、時代を体現しているのだろう。高野公彦は、宮柊二が白秋のもとを辞したのを、「時代と歌人の出会い」と呼んでいるが、このことは宮柊二だけではない。窪田章一郎もまたそうである。
「時代とどう出会うか」「どう真向かうか」が肝心な点であろう。