詩人の聲 2015年12月
1、柴田友理 12月11日 於)ギャルリー東京ユニマテ
柴田は36回目の公演。彼女はこのプロジェクトの参加詩人のなかで絶好調な一人だ。10月に多少の動揺があったが、今は聲、作品とも充実している。事実を事実として作品化しない象徴詩の作風だが幻想詩の傾向が濃厚だ。だが難解語がない。聴いていて内容がくみ取り易い。これが柴田の作品の最大の特長だろう。
幻想的だが、人間の成長、人間の悲しみ、人間の生と死、ジェラシー、人間の行く末。こうしたことが暗示を駆使して表現されている。人間と社会の関係、人間の強い意思。言葉の一語一語が明瞭だ。作品に厚みと深さが一層増してきた。
何だか文学少女から大人の詩人に脱皮したようにも思う。柴田は2016年から友理と改名する。一層の飛躍が期待できる。
2、福田知子 12月14日 於)東京平和教会
福田は32回目の公演。三か月振りの公演だった。公演の間があくと聲の出かたか変化する。プロデューサーの天童の話によれば聲が十分に出ていなかったとのこと。毎月欠かさず聲を出すのが重要だろう。
作品は重厚感のあるもの。時おり使う文語が柔らかな表現に繋がっている。事実を事実とした作品より暗示により自然との一体化を表現したものが印象的だった。
一時期見えた理窟が消えている。新境地を開拓しているのだろう。
3、禿慶子 12月18日 於)キャシュキャシュダール
禿は83歳の詩人だ。だが聲と作品ともに年齢を感じさせない。若々しいのだ。愚痴がない。ボヤキもない。平易な言葉で深い世界を構築している。力んでいないが言葉の一つ一つが心にズシリと来る。生命へのいとおしみ、人間の苦悩。こういう主題が鮮明に伝わってくる。
83歳にしてなお新境地を開拓しているようだ。公演のあとに話を聞いたが、好奇心が旺盛だ。この好奇心がわかさの原因だろう。正岡子規も斎藤茂吉も好奇心旺盛だった。
人間や社会への好奇心。優れた詩人の条件の一つだろう。好奇心があるから人間や社会を掘り下げられるのだ。
4、天童大人 12月21日 於)東京平和教会
天童は60回目の公演。海外での公演歴も長い。国内の公演も経験豊富だ。天童の聲はすさまじい。会場のガラスを破らんほどだ。だがこの日は公演中に鼻の具合をしきりに気にして、水を飲んだ。聲は万全ではなかったようだ。
だがそういう時も聲の出し方はあるとかつて言っていた。去年僕が風邪をひいて聲が擦れた時だ。「聲を喉だけで出しているからいけないのだ。」と言われた。調子の悪い時はその時なりの聲の出し方がある。
作品は詩集未収録の「バビロン詩篇」「イタリア詩篇」「アフリカ詩篇」など。古代文明への憧憬、現代文明への批判的観点、言葉と聲のアニミズム的な捉え方。ぼくが初めて天童の聲を聴いて、プロジェクトに参加するのを決心したのは天童の聲を聴いたあとだった。
天童の真骨頂は斯くなる世界だと僕は思う。これがやがて一冊の詩集になるだろうが今から楽しみだ。
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