1931年(昭和6年)の満州事変から1945年(昭和20年)の終戦までの一連の戦争を「15年戦争」と初めて呼んだのは、哲学者の鶴見俊輔だと聞いたことがある。
僕の学生時代にはまだ一般的ではなかったようで、卒業間近に買った本のタイトルが「15年戦争」だった。
1931年(昭和6年)満州事変。柳条構事件に端を発する。
1937年(昭和12年)日華事変。盧溝橋事件に端を発する。
1941年(昭和16年)太平洋戦争開始。ハワイ真珠湾攻撃により始まる。
僕が中学時代に習ったのは以上のようなもので、「15年戦争」という呼称はなかった。
同時代に呼ばれた名は「満州事変」「北支事変・支那事変」「大東亜戦争」。それが後世に違う名で呼ばれるのには、学問的根拠がある。
満州事変は事件当時呼ばれた通りに「歴史用語」になっている。だがきっかけとなった事件は「柳条構」ではなく「柳条湖」であることが近年明らかになった。「事変」の名が今でも使われているのは、爆破されていない鉄道を関東軍が「中国軍に爆破された」とした謀略で、短期間に現地解決を実現させ「局所戦闘」に終わり、「奉直命令」もなかったからである。「事変」と呼ぶのが実態に近い。いわば関東軍と朝鮮駐留軍の暴走だが、昭和天皇は「以後気をつけるように。」と追認した。(藤原彰ほか著「天皇の昭和史」)
日華事変は当時「北支事変」次いで「支那事変」と呼ばれたが、戦後「日華事変」と呼ばれ、現在は「日中戦争」と呼ばれる。その方が実態に即しているからだ。(カテゴリー「歴史に関するコラム・「なぜ< 日華事変 >でなく< 日中戦争 >なのか」参照。)
太平洋戦争は当時「大東亜戦争」と呼ばれたが、現在では「太平洋戦争」次いで、「アジア太平洋戦争」と呼ばれる。「大東亜戦争」は当時の国策を正当化するもので、傀儡政権を作ったり、「軍政」をひいて植民地化した実態と合わないので、戦後「太平洋戦争」と呼ばれるようになった。しかしこれはアメリカ側から見た呼び方(英語)の直訳で、中国・東南アジアの戦闘を含んでいないので、「アジア太平洋戦争」と呼ぶのがより実態に合う。
これらを「15年戦争」と呼ぶのは、これら様々な実態の「戦争」が日本の権益拡大という戦争目的の共通点、軍部指導者の共通点(=日清・日露戦争を体験していない戦争指導者・大江志乃夫著「日本の参謀本部」)、途中で講和条約が結ばれていない点、などより一連の歴史過程と見られるからである。(カテゴリー「歴史に関するコラム」・「15年戦争;斎藤茂吉< 白桃 >< 暁紅 >< 寒雲」 >< のぼり路 >の時代」参照。)この呼び方が「先の大戦」などの常套句より実態に近い。アジア諸国へは「日本の侵略」、対米戦は「帝国主義国の植民地争奪戦」、原爆投下・東京大空襲・シベリア抑留・千島列島占領などは「日本は米ソの国際法違反による被害者」と、重層的性格を持つ。
1951年(昭和26年)にサンフランシスコ平和条約が結ばれたが、対米片面講和だったため、現在の領土問題の原因となった。
講和条約は戦争終結後の領土確定を含むのが普通。片面講和であるサンフランシスコ講和条約にソ連(ロシア)、中華人民共和国、韓国は参加していない。これが現在の領土問題の原因のひとつである。
戦争のことをかなり詳しく記事にしてきたが、これは近現代短歌を考える上で重要だと考えるからだ。戦争が激しくなると、歌壇はこぞって戦意高揚の作品を発表した。このことが戦後の第二芸術論を呼ぶおもな原因となり、それに対する答えが、近藤芳美・宮柊二のそれぞれ特徴のあるリアリズム短歌であり、佐藤佐太郎の「純粋短歌論」もそれに含まれると思う。佐太郎は「ためにする短歌」を第ニ義的なものとして退けたからである(=「ためにする短歌」とは宗教布教のための短歌・政治宣伝のための短歌を言う)。そして、やがて前衛短歌の時代となる。これもまた第二芸術論への回答のひとつだった。(「角川短歌」誌上の2009年の三枝論文)
つまり戦後短歌は「15年戦争」の時期をどう受け止めるかということを軸に推移して来たのだ。70年安保をどう作品化するかが歌壇の焦点になった時期もあった。それが「経済の高度成長期」に置き去りにされた感がある。
塚本邦雄の「茂吉秀歌・白桃~のぼり路まで百首」の跋文のなかの「これこそすべての歌人の、以て範とすべきところか」と書いた隠れた意味だと思うがどうだろうか。かつて呉で広島の街が原爆で燃え上がるのを目撃した塚本邦雄の真意はそのあたりにあったのではなかろうか。
時事的問題に歌壇がどう向き合うか。現代でいえば原発の問題がそれにあたろうが、時代の中の生身の人間である歌人がそれにどういう見解を持つかが、ひとりひとりの歌人に問われているのではないか、と思う。
なお「昭和史・新版」は名著といっていい。現在の学問水準からすれば書きなおしたいところはあるだろう。(たとえば満州事変のきっかけは「柳条構」ではなく「柳条湖」でおこされた関東軍の謀略である。だが、文学者との「昭和史論争」の成果をとりいれている点、昭和史をはじめて大正デモクラシーから説き起こした点、一般書として細かいところは省いて読みやすいように、新書本一冊のまとめた点、まとめるために歴史過程の核心部分を的確に書いていることなどである。
地名問題については下記の江口圭一著「15年戦争の開幕」に詳しい。刊行後長い年月をへたが、「昭和史・新版」が現代の歴史学にあたえる影響は未だに小さくはない。
*付記:参考文献・江口圭一著「15年戦争の開幕」、藤原彰「日中全面戦争」、木坂順一郎著「太平洋戦争」、大江志乃夫著「日本の参謀本部」、藤原彰ほか著「昭和史・新版」、藤原彰ほか著「天皇の昭和史」、井上清著「天皇の戦争責任」。