「運河の会」東京歌会 2015年4月12日 於)早稲田奉仕園セミナーハウス
「運河の会」東京歌会の活気はあいかわらずだ。JR山の手線に遅れがあったが、定刻通り開催された。そして活気は、冒頭の佐瀬本雄代表の言葉に現れている。
「この作品は出来上っている作品だが、もう一段上を視野に入れて、発言します。」
確かに主席者の全員が上達した。意味のない感覚だけの作品は一つもない。みな、何を感じ、何を表現したいのか、心の中で確かめながら、作品を作っている。
参加者は10人で、いつもより少なかったが、それぞれ独自性のある作品だった。叙景歌あり、心理詠あり、旅行詠もあった。一首について、司会者が二人ほど指名し、あとは自由に発言する。「詩人の聲」で現代詩を学んだことと、『星座』『星座α』の選歌添削、毎月最低三回の歌会(作品批評会)に出席することで、作品批評の基準が鮮明になり、語感も磨かれてきたように思う。
僕が指摘したところは、佐瀬代表も指摘していたから、当を得た批評だったと思う。論点「主題を絞れ」「余分な言葉はないか」「表現は的確か」などだ。批評するときに、他人の作品は客観的に見える。だが自分の作品を客観的に見るのは難しい。自分では見えないものが見える。これが歌会の効用だろう。しかも佐瀬代表は、国文学の文法にくわしい。
「ここは研究会であり、自分の発言は、個人の感想だ。」
という言葉で参加者は励まされる。
僕は、前日の「かながわサロン」同様に、第四歌集の主題に密接に関係する作品を出詠した。やはり自分で気づかなかったことに気づかされる。改作案もその場で出来た。
そしてもう一つの歌会の効用。着眼点の新しい発見。参加者の作品を見て、自分ならこう見て、こう表現する。こんなことを考える。ボキャブラリーが増えるのも効用の一つだ。
だいぶ日が長くなってきて、四時の閉会のあとの懇談会も明るいうちに行えた。そこでは、方言、終戦直後の様子などを話しあった。
帰りに早稲田界隈の古本屋を覗いたら、探していた書籍が見つかったので購入した。