岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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バグダッドへの爆撃を悼む歌:岡野弘彦の短歌

2015年04月15日 23時59分59秒 | 私が選んだ近現代の短歌
『バグダッド燃ゆ』は2006年に刊行された。当時は、アメリカによる,バグダッド空爆があり、多数の市民が死亡した。アメリカは正義を主張したが、「誤爆」と再三言わfれたように民間人が多数巻き込まれた。のちにアメリカの開戦の理由は根拠がないことが、明らかになった。

 だからこの歌集出版の段階では、戦争の大義名分が正当かどうかを判断する確証は、なかった。岡野の作品は、アメリカの非を難じるものではなく、空爆下のバグダッド市民を思った作品だ。


・バグダッド業火に焼くるたたかひを 病み臥す妻に 告げざらんとす

 アメリカによる、イラク爆撃は「石油の利権の確保」にあると、フランスの市民団体が声明を出したのを覚えている。戦争は、領土紛争を含めて、経済的理由で始まる。資源や市場や利権の確保。これらは人間の欲望に絡んでいるが、岡野は「業火」と呼んでいる。これは仏教用語で、「罪人を焼く地獄の火」である。

 アメリカの爆撃で、なぜイラクの人びとが罪に問われるのか。不条理だが、戦争という罪を犯す人間に対する罰を、神が人類に与えていると、岡野は考えているのだろうか。これが政治論文、詩歌の違いだろう。

 不条理だが、それはそのまま戦争の不条理につながる。その悲惨な不条理を、岡野は病床の妻に告げまいとしている。岡野にとって、イラクでの戦争は、傷ましくもあり、切実なものであった。それは集中の次の作品からわかる。


・特攻機つらねゆきたるわが友の まぼろし見ゆる 天の鶴群(あまのたづむら)


 夜空を見上げて、岡野は戦死した友を思っている。特攻隊員の多くは帰らぬ人となった。岡野は現在進行形の戦争を、つぶさに見ながら、自分の友の命を奪った先の戦争に思いを馳せている。戦争は海外で行われているが、ここに岡野の当事者意識がある。それゆえ岡野の作品はプロパガンダを越えた、抒情詩としての普遍性がある。

・かくむごき戦(いくさ)を許し しらじらと 天にまします 神は何者

・かくばかり世は衰へて ひとりだに 謀反人なき 国を危ぶむ

 岡野の戦争への不条理感は、戦争を許す神、それを見過ごしている日本人にも、向けられる。「この国はこれでいいのだろうか。・・・これにどう応えるか。それは岡野だけでなく、世代をこえて私たちにも責任がある」これは亡き小高賢の言葉だ。

 この岡野の目的意識、主題への接近。これには学ぶべきものがあろう。今年の「釈迢空賞」は該当者がいなかった。主題のない軽い短歌がこうも多くては、或る意味当然だろう。




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