「ブナの木通信」『星座』75号より
「短歌は詩である」と断言したのは佐藤佐太郎。詩の条件は、リズムと人間の抒情、美的世界を表現することであろう。作者の世界観や人間観の感じられる作品に注目した。
(息子に死生観を語る歌)
人間は死後の事を考えるものだが、作者はそれを息子に語っている。下の句に作者の覚悟が感じられる。死後の覚悟は、生きる覚悟でもある。
(若やいで海を泳ぐ歌)
下の句の沖縄語の使い方が独特である。齢を重ねても、心は若くありたいもの。作者はそれを泳ぐときに感じたのだ。
(自分の過ごしてきた時間を思う歌)
作者は歌を詠う。その時に、自ら過ごして来た時間を振り返る。その時間は、時に苦しいものであったろう。
(自らの命運を知った人の面影の歌)
死期を悟った人であろうか。作者の知人はその時に、花を見たという。如何なる気持ちで花を見たのだろうか。作者はそれに思いを馳せている。
(蛍に命ある者の確かさを思う歌)
人の命ではない。蛍の命だ。蛍の放つ光はかすかだが、闇夜には驚くほど明るい。その明るさを作者は、「命あるものの力」と捉えた。
(土を分けて咲いたサフランに解放感を感じる歌)
土を割ってサフランが花をつけた。だれの死だろうか。それは詳らかでないが、その死と入れ替わってサフランが咲いたのだろう。死は重苦しいが、花が咲くことにより解放された感じを作者は抱いた。命あればこそ、人は悩み、苦しむ。
(敗戦70年に責務を感じる歌)
戦後70年。語り継ぐべきことは多いだろう。先の戦争では、邦人であるかどうかを問わず多数の人が死んだ。8月15日は、その命の重みを問い直す日と言ってよいだろう。
(ベンチで空を見上げる歌)
作者の苦悩は深く大きい。