岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

「オリオンの剣」3首抄:「短歌現代」6月号より

2011年07月08日 23時59分59秒 | 岩田亨の作品紹介
「短歌の詞語に、古語とか死語とか近代語とかを云々するのは無用である。そんな暇あらば国語を勉強せよ。そして汝の内的流転に最も親しき直接なる国語をもって表現せよ。」(「童馬漫語」)・・・岩波文庫「斎藤茂吉歌論集」51ページ。

「写生と謂ひ、実相観入といふと雖、とどのつまりはその< 人 >があらはれるのである。」(「気運と多力者と」)・・・岩波文庫「斎藤茂吉歌論集」217ページ。

 僕の歌集は「口語・文語の混合文体」「新カナ表記」を用いた。これが「僕の< 内的流転 >にあった言語であり、「僕という< 人 >そのもの」だ。


 さて紹介された作品の自註。

1・わが立てる冷たき土に根を下ろし厳かに咲く赤き椿は・

 この頃は月に数回だけしか外出しなくなったが、以前の散歩コースに寒椿が咲いていた。朝の情景である。


2・聞き覚えある人の声と思いしが振り向けば急に夕日が眩し・

 以前はよくこんなことがあった。時には他人に返事をしてしまい恥をかいたこともあった。


3・映像の中に死にゆく子どもらを見るこの夜に暖房を切る・

 角川「短歌」の公募短歌館の入選歌。たしか「短歌年鑑」にも収録された。ちょうどアフガニスタンへの空爆が始まったころに作った作品。


 雑誌の文から少し引用する。

「・・・自己主張や批判、協調・妥協など人間関係のさまざまの事象に、常に内省する目が感じられる。その目が「スポーツドリンク稀釈して飲む」といった己の行為の瑣末に触れるとき孤独の影を濃くしてゆく。・・・」

 これが今回の歌集の「主題」だった。また知らず知らず人間関係の事象にかかわる「われ」が表現できたのは嬉しい。

 主題:「短歌が表現している中心的な感情・思想のこと。・・・近代以降、短歌は個人の感情・思想の表現となり、主題は歌人の行き方や作歌理念と密接に関わるようになった。」(岡井隆監修「岩波現代短歌辞典」)



 新カナ・文語口語の混合文体と他の「運河叢書」とは違うが、僕は茂吉の次の言葉を常に心に留めている。

「流行を追ふという事が自らの感じに忠実でないのは言ふ迄もないけれども、また反対に他は尽く顧みないで、何だ異趣味か、などと頭から概念的な趣味で片付けてしまうのもあぶないに極まっている。予は予の周囲の先輩諸同人から< 異趣味 >の名称はもらっても、願はくは予の直接の感に忠実であり専念でありたいのである。」(「童馬漫語・2」)・・・「赤光」出版後のこと。(「赤光」は「アララギ叢書」だが、異色の歌集だった。)





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