・ゆふぐれのかぜ庭土をふきとほり散りし百日紅の花を動かす・「暁紅」・子規忌
・しらぬひ筑紫を恋ひて行きしかど浜風さむみ咽に沁みけむ・「あらたま」・節忌
・くれなゐの牡丹の花の散りがたにむし暑き日は二日つづきぬ・「白桃」・左千夫忌
それぞれ岩波文庫「斎藤茂吉歌集」から抜粋した。
当然ながら斎藤茂吉は「アララギ(根岸短歌会)」の先人に敬意を払い、その作品や著作を読んでいる。当然の様だが、伊藤左千夫に関してはそう単純ではない。歌論、特に「写生」「一首の内容と調べの関係」については意見が鋭く対立したからである。
茂吉は伊藤左千夫を「選歌の師」と呼び、長塚節を「本来的な意味での師」とまで呼んでいるほどだから、左千夫と茂吉の溝は深い。
ある時、佐藤佐太郎が斎藤茂吉にこう聞いた。
「先生。短歌上達のためにどんな本を読んだらいいでしょうか。」
茂吉はこう答えた。
「左千夫を読みたまえ。」
茂吉は長塚節を「師」と呼んだのだから、「長塚節を読め」だったらわかる。なぜ伊藤左千夫なのか。僕はつい最近まで、「初心者はあれこれ言わずに左千夫を読めばいい」「< アララギ >の旗印を鮮明にせよ」という意味かと思っていた。正統か異端かというのは、内紛の原因だからである。
もちろんそういう意味合いもあっただろう。「アララギ」創刊の前の「アカネ」をめぐる三井甲之との内紛は「根岸派の分裂」との噂がたつほどだった。
しかし、それだけではないとこの頃感じるようになった。伊藤左千夫と斎藤茂吉の「短歌観」には深い溝がある。実作の上でも、伊藤左千夫の作品には「ただごと歌」日常の瑣末なことを詠んで、象徴性や単純化もない作品も多い。
だが、叙景歌の雄大さは右に出るものはいない。その意味で「伊藤左千夫を読む」のは必須だと、茂吉が思っても不思議はない。
加えて、左千夫を読むことにより茂吉の良さもわかるのだし、左千夫と茂吉の違いがわからぬようならそれまでだ。
また、佐太郎は佐太郎で独自の境地を切り拓くだろうし、何も茂吉の文体の真似をする必要もない。誰よりも「亜流」を茂吉が嫌ったのは、茂吉の歌論を読めばわかる。
茂吉も佐太郎も「自分の作品を読む」のを弟子に勧めてはいるが、「真似をする」のを勧めてはいない。
独自の境地を拓くなら、読書の傾向も幅もおのずから決まってくるだろうし、人に指図されなければわからないようでは困る。
佐太郎はその通り、左千夫とも茂吉とも違う作風を確立した。
と書いてきたが、僕が短歌を始めて二年目に、ベテランの人にこう聞いたことがある。佐太郎の直接の薫陶を受けた人である。
「佐太郎はどんな本を読んでいたのでしょうか。」
その人は涼しい顔でこう言った。
「それは茂吉でしょう。」
今から考えれば、顔から火が出そうな話である。
岡井隆をはじめ、馬場あき子、武川忠一、尾崎左永子、など歌人の読書量は非常に多い。(著書の内容・分野の広さを見れば一目瞭然である。)