岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

「運河」東京歌会:2012年1月

2012年01月16日 23時59分59秒 | 歌会の記録(かまくら歌会・星座・星座α・運河)
初詣の人の目立つ早稲田界隈。お屠蘇気分の抜けない1月8日。「運河」東京歌会がいつもの「早稲田奉仕園セミナハウスで行われた。


1・短歌の素材:

「雪を冠った富士山に沈む夕日」 「初日の出の光」 「年の瀬の花火のくぐもる音」
「ひ孫を身ごもる孫」 「潮の香の漂う夕暮」 「歳晩に冴える三日月の輝き」
「剪定の済んだ子庭の明るさ」 「冬空の光を含むような辛夷の蕾」
「月食の進む夜空」 「冬晴れの東京湾の船影」 「被災地に咲く水仙」
「ロシア貿易商に会社を譲った小樽の弟」など。

 叙景歌・人事・心理詠・境涯詠・家族詠など作者独自の目のつけどころが、はっきりした作品が多かった。



2・論点:

・「全体として調子が引き締まっていない」「丁寧すぎて全部盛り込んでいる」

・「時間や場所を入れるかどうかより、感動の中心明確にするのが重要」

・「『真夜』という言葉はない。頻繁に使われ造語としての新鮮さにも乏しい。」

・「目の付けどころはよいので、もうひと工夫を」

・「作者の感情が十分表現されていない」

 また事件性を扱うものは、作品化しにくいと感じた。やはり短歌は詩であり、表現するものは、情報や事柄ではなく、作者の感動、情感であると思った。


3・その他:

 短歌は5・7・5・7・7の定型詩。必要なものを入れ、不要なものを捨てる。これが佐太郎のいう「限定」。何が大事で何が不要か見極めるのが肝心だ。そのままでは詩にならない。自己の心情の掘り下げが重要なのだろう。

 なお「小庭」と書いて「さにわ」と読む語。茂吉は使ったが、佐太郎は使わなかった。あとで調べてみたところ、「さにわ」には「払い清めた場所」との意味があった。茂吉の熱心な山岳信仰と関係があるのだろうか。



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