「詩人の聲」2014年11月(2)
6、原田道子 11月21日(金)於)キャシュキャシュダール(自由が丘)
45回公演。原田とは北海道の「第一回北ノ聲」にともに参加したが、時間をとって聲を聞くのは初めて。北海道の公演は、自分の出番が気になって、人の聲を聴く余裕がなかった。原田の作品は、シャーマニズムだ。人間愛や、社会への異議申し立てが作品化されていて、主題は人間の営みだが、それが原田独特の世界観に裏打ちされた方法でなされている。
聴いていて不思議な祈りの感情が、体内に飛び込んでくる。幻想詩だ。恐山のイタコの聲を聴いているようでもある。そういった作品が、厚みのある聲、揺るがないリズムで、読まれる。世界の混沌を垣間見るような公演だった。
7、神泉薫 11月23日(日) 於)ギャラリー華(広尾)
神泉は、第8回中原中也賞受賞の詩人。44回目の公演だ。静かで穏やかな生の力を、聲とリズムから感じる。今回は新作が読まれた。新詩集を意識しているのだろう。
作品の姿が、一回り大きくなったように感じた。人間の生き方を問うといった、主題が、柔らかい祈りの感覚となって、体に飛び込んでくる。第一詩集は鞭のように言葉を使い、第三詩集の『あおい、母』は、このブログの書評で書いたように、時に柔らかく、時にはげしい言葉による人間賛歌。
今回聞いた、新作は作品の成熟度が増してきたようだ。気になる言葉がいくつかあったが、作者もこれから、聲に載せながら、作品に手を入れるそうだから、これからも更に進展して行くだろう。
8、筏丸けいこ 11月24日(月)於)NPO法人東京自由大学(神田)
28回目の公演。筏丸の聲はハッキリとした聲で、重厚なリズムがある。詩篇はアイロニーに満ちたものだった。この日は、都々逸、金子みすず、に関しての、エッセイが読まれた。エッセイは勿論散文だが、散文にもリズムがある。金子みすずに関するエッセイは、紀行文だったが、臨場感がある。
詩篇、エッセイともに、独特のリズムがあり、主題が明確だ。もう少し、詩篇を聞きたかった気がする。
9、渡ひろこ 11月25日(火) 於)ギャラリー華(広尾)
初の公演。声が美しく響く。だが流行語大賞に出て来るような言葉が並んでいる。主題が不鮮明だ。独特の雰囲気があるのだが、雰囲気で終わっている感が強い。
言葉を巧みに操っているが、何を表現したいかという、肝心のところが、定まっていない。奇麗な今風の言葉が、それらしく並んでいるといった印象だ。
だが声が済んでいて、ハッキリと発声している。回を増すごとに進展していくだろう。
10、紫圭子 11月28日(金) 於)ギャルリー東京ユニマテ
31回目の公演。紫の作品は、日本神話の世界を中心とした、祈りの世界だ。対馬の和多都美神社、福岡の宗像神社、奄美大島で、聲を奉納してきた。だがそれは国家神道とは違い、自然信仰に近い世界だ。外見は、神道、日本神話だが、内容は日本的アニミズムの世界だ。
神話を題材としているが、神話の内容をなぞるだけでなく、そこに自分の詩世界を構築している。神話は、いわばその道具立てだ。自然信仰に近い感覚は、奄美大島の作品で、最高潮に達する。リズミカルで、力みのない聲で、言霊と作者が一体化する。
この公演では、四日市の詩人、清水弘子が、紫の聲を聴きにきていた。今月は、清水の聲は聴けなかったのだが、清水はプロジェクトで、上京するたびに、他の詩人の聲を精力的に聴いている。聴くのは10回を越えたそうだ。「10回越えて、意味をとろうとしないで、抒情が体に飛び込んでくるようになった。」という。僕はこの暮で、自分の公演を含めて、プロジェクトへの参加が100回を越える。他の詩人の聲を、聞くのが10回を越えたころに、同様の感覚を抱いた。
「詩人の聲」は、聴く者の耳も鍛えるようだ。そして僕の経験則から言えば、聴くことで、自分の作品や、感じ方も刺激される。『運河』『星座』で、短歌を、抒情詩として、批評出来るようになったのは、まさにこれが原因だ。
伊藤比呂美は明日の記事で。(詩を読まずに説教節だったので)