岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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吹雪する国の歌:宮柊二の短歌

2010年01月04日 23時59分59秒 | 私が選んだ近現代の短歌
宮柊二が出征したのは1939年(昭和14年)から1943年(昭和18年)まで。日中戦争が泥沼化して、やがて敗色が濃厚になったころに当たる。中国戦線で山海関から山西省にかけての地域。山海関は満州と華北の境にあたり、山西省はそこに麟接する激戦地。激しい戦闘のもとに足かけ5年身をさらしていたことになる。

 まさに殺すか殺されるかの瀬戸際にいたわけで、その経験は戦後の短歌作品にも深い刻印を刻んでいる。たった三歳の年齢の違いで佐太郎は応召せず、宮柊二は最前線で従軍したのである。


・空ひびき土ひびきして吹雪する寂しき国ぞわが生まれぐに・
                  (1962年・昭和37年作)


 戦後17年。かなり穏やかな詠いぶりになっているが、歌集「山西省」では壮絶な戦争体験がるる詠まれている。さながら「記録文学」の趣がある。日常生活の瑣事でないだけに意味のあることだろう。

 「祖国とは何か」「戦争とは何か」「人は戦争にどう向いあうべきか」・・・。こういったテーマが繰り返し問いかけられる。実際に戦地に赴き、弾丸の飛び交う下をくぐり抜けてきただけに、痛切で切迫している。「殺し、殺され」という凄絶な歌もある。

 佐太郎とは詠みっぷりが全く違うのだが、心にずしりと来る。短歌を詠む方向としては、「こういうものもあり」と僕は率直にそう思う。

 戦後60余年。考えるべきことも多い。では、いわゆる「反戦歌」かというと、それとも違う。近藤芳美と比べるとそれを感じる。

 しかし、戦争が宮柊二という歌人の心に刻んだものは深く痛々しかった。歌集「山西省」で戦地に赴いた兵士の抒情を凄まじきまでに詠んでいる。それがいかに忘れ難いものだったかは、帰国後の作品のリズムが乱調気味であることから分かる。

 やがて戦後20年近く経って深く沈潜した抒情を詠うようになる。それほど戦争体験は作者にとって大きかったのだろう。





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