天童大人プロデュース「詩人の聲」第1028回
於)Cahe-cache d’Art(自由が丘)
「あえいおえおあお かけきこけこかこ させしそせそさそ かけきこけこかこ
(発音練習)
私の第一歌集「夜の林檎」の音読。今回が最終回。『故園抄』という一連から読んでいきます。ここは、日本の原風景、歴史、国宝の品々などを詠んだ一連です。
・人間の意思の及ばぬことなどを魔と呼び来たろ村にわが立つ・
・山あいのカムイコタンの荒れ茶屋は滅びゆく美というの悲しき・
・降る雨に打たれてせまき水張田のあぜ道に聞く遠雷の音・
(室生寺)
・方形の庇は五つ重なりて室生の秋の空間を切る・
(天神絵巻)
・牛引きが塀にもたれて憩いつつ都大路を眺めいるところ・
(田中正造)
・明治という時代のはざまに生きた人ぼろの袋と聖書残しぬ・
(石川啄木一族の墓)
・岬の道たどりて行けば墓いくつ並んでいたり一族果てて・
・船腹に着きたる貝は乾きいて出漁せざりし歳月長し・
・幾度も所有者を変えし仏像の玉眼の光りいまだ濁らず・
ここより『簾外抄』という一連にはいります。ここには、わたしが『運河の会』や『星座の会』以外の一般誌に投稿した作品などを配列してあります。
・漂鳥となりていずこへ帰るべき故郷を持たぬ汝れとわれとは・
・異国にて命終えたりし人々の墓誌の名前の文字消えかかる・
次に『こどものうた』という一連にはいります。これは生き別れとなった娘たちを詠んだ一連です。
・海の潮はなぜ満ち来るかと問う児らに引力の話は難しすぎる・
・『黒ずくめの男』と児らはわれを呼ぶ授業参観の照れをかくして・
・かくれんぼに疲れた児らが順に言う「一抜け、二抜け、三抜けた。」
面白いですね。子どもの言葉はしばしば、5・7・5・7・7になる事があります。
例えば次のような言葉です。
・「お父さん、お姉ちゃんの絵ばかりほめないで、私のだって貼ってあるのよ。」
次に『早暁の天』という一連にはいります。ここは、1995年に私が胃癌となって、癌で悼む胃を抱えながら、詠んだ30首です。
・崩落の危険を告ぐる札の立つ背後の岩に亀裂が深し・
・人の世の続く限りは避けがたくわかちがたきを愛憎という・
・驕るなかれ恐れるなかれ死ぬなかれわれに聞こえる声の主は誰そ・
・おのずから定まるべきは定まらん風の巻き立つ道を見下ろす・
・『敦盛』の幸若舞に謡われる齢までわが命保たん・
『人間50年』とあります。45歳で胃癌になりましたから、50歳まで生きられるだろうかと思い、出したのが、この第一歌集です。(作品は一部のみ)
次に、私が短歌を本格的に作り始めたとき、近現代詩を読みこみました。そのときに口語自由詩を幾つか作りました。古いノートに書き留めてあったものをここで、読んでみます。
『両の拳は』
むかし戦争がありました。
ほら、あのお寺の境内のクスノキを御覧なさい。
太い幹に大きな割れ目があるでしょう。
それは、
何万人もの人を焼いた原子爆弾が、
木の肌を傷つけた跡なのです。
昔、戦争があったのです。
今でも戦争は続いています。
ほら、テレビの画面の
泣き叫ぶ子どもたちを御覧なさい。
包帯でぐるぐる巻きにされているでしょう。
それは
お金持ちの国が、貧しい国へ
何万発もの爆弾やミサイルを
打ち込んでいるからなのです。
海の向こうで戦争は続いているのです。
この街にも戦争はあります。
ほら、あの公園の藤棚の下に、
お花が活けてあるでしょう。
それは、
二十数年前、米軍のジェット機が墜落して、
若いお母さんと、二人の子どもを焼き殺したあとなのです。
お花が絶えることはありません。
今日もまた、米軍のジェット機が、
私たちの街の上を飛び交っています。
海の向こうの戦争が激しくなると、
ジェット機の飛ぶ回数も増えるのです。
底知れぬ青空のもと、
ジェット機の轟音が私の耳をえぐります。
それを聞くたびに、
私は、
両の拳を握りしめるのです。」
その他に、「土間」「耳」という題の口語自由詩を読み、1977年横浜緑区の米軍ジェット機墜落事件の墜落現場跡地で詠んだ短歌5首、「短歌」などに投稿した、社会詠を43首読んだ。次回は京橋の画廊で行う。第二歌集「オリオンの剣」を読み始める予定。
前回、広尾で行ったときは、腹筋をつりそうになった。エネルギー不足と腹筋がよわまっていたのが原因。今回は、事前にエネルギーを補給し、腹筋も鍛えていったので、声がすんなり出せた。