「おかあさんのしお」。この言葉を聞いて意味がすぐにわかる人はいないだろう。「お母さんの塩」?「岡三の潮」?
言葉は大変難しくも、面白いと初めて自覚したのがこの時。たしか3歳くらいだったか。ひらがなを何とか書けるようになった頃だった。
これは僕の言葉で菓子箱に書いた文字だ。正解は、
「お母さんの詩お(を)」。
ものごころ付いたころから、母が何やら紙に書いているのに興味を持っていた。
「何を書いているの。」
「詩を書いているのよ。」
こんな会話があったと思う。それ以来、母が紙に書くものは「しお」だと変に納得してしまった。
詩を書くノートを綴じるときに、表紙を書くことになった。そこで平仮名を覚えたばかりの僕がタイトルを書くことになったのだ。
「しお」を書いているお母さんだ。「しお」だ。そう思い込んでいたところに、
「お母さんが詩を書くノートの表紙に字を書いて。」と来たものだからたまらない。たちまち
「おかあさんのしお」と書いた。そのあとどうなったかは、よく憶えていない。多分大笑いになったか、家族がみな驚いたか、どちらかだ。
ただ一つ。確かに「しお」と聞こえるのにおかしい。難しいもんだ。でもどこか面白そう、と思った。
こういう事はまま有り得る。詩人・彫刻家の高村光太郎の父は彫刻家の高村光雲。詩人の谷川俊太郎の父は哲学者の谷川徹三。難解なヘーゲル哲学の書物の訳しかたには独特の分かりやすさがある。また岡井隆の父は斎藤茂吉の弟子だった。
これらの大家と自分を比べるのは不遜と思うが、「詩を」書いていた母の影響は無視できない。黒田三郎の詩集や、中央公論の「日本の詩歌」の全集が家にあった。これは以外に大きな影響を僕を与えている。
母は職場の詩の同人誌に作品を発表していた。その素質が遺伝したとは言わないが、ものを書くのに抵抗がなかったのは幸いしているだろう。
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