「夜の林檎」所収。
体調のよいとき僕は散歩をする。家の近所を30分くらい歩く。街の一角に小さな児童公園があって、その隅に祠がある。公園の名には、「池」の文字がつくのだが、池はどこにもない。町なかのミステリーである。
聞いてみると、大規模団地を造成するときに埋め立てたのだそうだ。これは、歌会(批評会)で聞いた話。会員のなかには地名や郷土史を研究している人もいるから、歌会(批評会)は大切な情報源でもある。
原作は、
・社へと訪いゆくはわが慣いにてその祭神の名前は知らず・
だった。「社=やしろ」としたので参加者はみな神社と思ったらしい。批評がひとまわりするまで作者名は伏せられている。僕は黙って聞いている。「なかなか伝わらないものだな」と思いながら。自分の作品を客観的にみるチャンスとも言える。
批評が終わって作者名が明らかにされたのち、自分の作品を自註する。そこで聞いたのがかの埋め立ての話だが、そこで浮かんだ言葉が「祠=ほこら」だった。
自分では気づかないことに気づかせてくれる。そして、より適切な表現に気づく。これが、結社の批評会(=歌会)に参加するメリットであろう。
今回の初詣は、この「祠=ほこら」になりそうである。
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