・しろたへの砂みえそむる暁に靄(もや)うごかして海中(わたなか)の波・
佐太郎の第三歌集「しろたへ」のタイトルとなった一首だが、この歌と前歌集「歩道」の間の距離が隔たっているのが気になっている。一言でいえば佐太郎らしくないのである。
その第一。「虚」と「実」の出入りがない。「虚語」もない。
第二。「しろたへ」「海中(わたなか)」。この言葉がやや古風なのである。「都市詠」で満たされている「歩道」との隔絶がある。
あるいは「叙景歌」に徹しようと佐太郎は考えていたのか。それを知るすべが今の僕にはないが、「歩道」がアララギの新風、別の言い方をすれば異風で賛否両論だったのに対しての佐太郎の暗黙の回答だったのかも知れない。
「鬼才」と言われる岡井隆が「アララギ風の歌」を詠めるのにあえて詠わないのに対し、佐太郎は所謂アララギ風の歌集を一冊上梓したのか。僕にはそう思えるのである。