歌集『半地下』(嵯峨直樹歌集)角川学芸出版
嵯峨直樹は「未来」所属。岡井隆の弟子である。2000年の「短歌研究新人賞」を受賞したときから、密かに注目していた歌人だ。さらに「短歌研究」誌上に、忌憚のない、問題提起をしたのも印象に残っている。
今回の嵯峨の歌集は「衒いのない表現、主題の明確な作品群、表現上の試み、繊細な感受性」という特徴がある。
・人生に陥没地ある人びとが集いて寂しく栄えていたり
・平地部を覆える雲の芯暗し雨後のごとくに人はつやめく
などの作品には、作者の人間観、社会観が垣間見られる。心理的社会詠と言えよう。
・浸食がくりかえされて拡がった洞にいのちの水満ちている
・緒の切れた男性用のサンダルが隣家の庭で冬日を浴びる
・たましいの痛みを庇うようにして少女は脚に冷風あてる
などの作品には、繊細な感受性が作品化されている。いずれも微妙な心の襞を見事に掬い上げている。
・オロナミンCの茶色いガラス瓶初夏の車内に光を散らす
には、商品名が詠みこまれているが、「衒い、俗臭」がない。あくまで抒情詩として、昇華しとうとしている。
実験作もある。この実験作は、言葉の省略を利用して、読者の想像力をかき立てる、作品群だ。あえて細かいことを省略し、不思議な感覚の世界を構成している。しかし、なかの幾つかは、詞書が必要だったり、別の表現はないか、と思わせるものもあった。
だが歌集集録のほとんどの作品は、主題が明確である。「表現が新しくても、主題がない短歌は、抒情詩とは言えない。」それゆえ実験作も「奇を衒った」ところがない。
作者本人は、至って謙虚だ。
「感覚に淫した、歌があまりに多く、これ程はと戸惑った。」(あとがき)
だが気分が先行し、感覚に溺れた作品はない。また「雲を掴むような表現」のものは、削ったとのこと。実験作を試み、それを自分で、検証しながら、さらなる境地を開いてゆくだろう。