詩集『犬釘』(田中健太郎詩集)思潮社刊
この詩集には、31篇の作品が収録されている。帯文の裏には次の様に書いてある。
「いまを生きる苦しみ哀しみに正面から向き合いたいー。生活者とての実直な希求を、自らの実存を衒いなく昇華する。詩の言葉に託された、人間の思い、31篇。」
田中の作品は、まさにこの短文に凝縮されているだろう。31篇のうち、最初の23篇は「社会に対する鋭い視線」がある。骨格が頑丈で、風格のある文体だ。
日本の伝統を題材としたもの、海外の事件に取材したものと、様々だ。そこに流れるのは、社会への異議申し立てであったり、姿勢を正して生きていこうとする姿勢である。
文明や社会は、時に人間を緊縛する。それに対する拒否の姿勢もある。
だがそれでいて、リアリズムの詩ではない。どこか甘美で、官能的な臭いがする。田中は、英語、フランス語が堪能だ。酒の席では、フランス語や英語の歌を歌ったりする。だが外国語の堪能な人間にありがちな、「気障で気取ったところ」が全くない。
そういう人柄が作品に滲み出ている。これが彼の「資質」なのだろう。個人の人格が作品に表現されているという事は、田中が「おのれ」をよく知っていると言うことだろう。
この詩集の詩篇のタイトルを紹介しよう。
「犬釘」「まだ、七月のうちに」「夏至の翌日」「強い日射しのなか」「意地と天幕」
「淫らな夏の日々」「松明あかし」「ヘンリクの弓」「一糸乱れず」「透明な隣人」
「桜とブルーシート」「下町の寄り合い」「二人の男」「電柱と電線」「釣瓶落としの」
「砂絵曼荼羅」「黄色い部屋」「デミウルゴス」「白磁瓜形壺」「宴の終わりに」
「聖なるかな」「我を解き放ち給え」「碑」。
ここまでは硬派な作品が続く。職場や社会を暗示したと思われる作品もある。
だがそのあと、「なにもかも失ってしまったから」「海の記憶」「空の記憶」「梵鐘」
「隠れの墓」「砂時計」「残りは何秒」「ねじれた這松が空を指差し」
になると、一種、人間に対する冷めた目が感じられる、或いは作者の孤独感か。しかしそれは敗北主義とは違う。「熱くなっても冷静さを失わない作者の視線の基軸が表現されているようだ。
佐藤佐太郎も言ったことだが、「文学作品には作者の影が表れていないとならない」としみじみ思う。