日本学術会議。
先の戦争で科学者、研究者が軍事研究に協力し戦争につながったのを反省して結成された団体。各国に当てはめると、国立アカデミー、王立アカデミーにあたる。年間8億の国家財政が投入されているのを問題視する向きもあるが、イギリスでは王立アカデミーの年間80億の国費を投じている。むしろ日本は支出金が少ないと言えるだろう。
日本学術会議は毎年多い時は20本以上の政策提言を発表している、科学者、研究者の立場からの提言だ。日本学術会議のホームページに掲載されている。
日本学術会議法には法律の前文がある。そこには「平和復興」「社会の福祉」という文言がある。こういう文言と法律前文があるのは日本国憲法、改正前の教育基本法にしかない。つまり日本学術会議は日本国憲法の内容を科学者、研究者の立場から体現する戦後民主主義の成果の一つだ。
提言はしばしば政府に厳しいものとなる。「科学者は軍事研究をしない」「原子力開発への厳しい提言」ノーベル賞を受賞した、湯川秀樹、朝永振一郎の頃からの一貫した姿勢だ。会員は210名。6年で改選される。連携会員約2000名の投票によるものだった。設立当初は大学院の修士課程を修了した研究者にも投票権があったからもっと多くの研究者によって選出されていた、「科学者の国会」と言われる所以である。
政府の機関で、連帯会員は国家公務員の待遇となるが、官僚とちがって報酬はない。8億円のほとんどは日本学術会議の職員の給与だ。日本学術会議の仕事は多彩。「政策提言」「各地での講演活動」「アジア学術会議の事務局の役割」。専従の職員が必要だ、科学者、研究者はほとんど手弁当で活動している。
本来投票で決めていた学術会議の会員が、学術会議の推薦にもとつく、首相の任命制になったのは、1980年代。「政府から独立して活動する」という学問の国家からの独立を侵害するものだと会員、連携会員の間で反対の声が高まった。
首相任命制の是非を会員の投票で決めようという直前で、当時の伏見康治会長(のちの公明党参議院議員)会長預かりとして政府案を飲んでしまった。
日本政府からの日本学術会議への介入は、この頃から顕在化した。
学問の自由とは、「好きなことを好きなように研究する」だけではない。「学問の国家からの独立」も含まれる。
政府にとって日本学術会議は余程目の上のタンコブなのだろう。「日本学術会議は中国の1000人計画の関与している」「日本学術会議の会員を6年務めた後は学士委員会員となって年間250万円の年金が支給される」「防衛大学卒業生は大学院に行きたくても大学側が拒否している」こういったデマが、公共の電波で拡散され、櫻井よしこ、甘利明元国務大臣がブログなどで発言している。
そしてとうとう、国立大学の学長まで首相が任命拒否できるというはなしまで浮上してきた。
今回の人事介入の100近い学会、「日本野鳥の会」「日本ペンクラブ」などの団体、法律家団体から抗議声明が出され、海外の「サイエンス」「ネイチャー」「ル・モンド」「ロイター通信」「フィナンシャルタイムズ」などに厳しく批判されているのも当然だろう。