・夕焼空焦げきはまれる下にして氷らんとする湖の静けさ
大正2年作、第2歌集「切火」所収。
のちに上の句は「まかがやく夕焼空の」と改作された。(「島木赤彦歌集」「作品集」はいくつかあるが、古本屋で買った岩波文庫は『まかがやく』、中央公論の「日本の詩歌」は『夕焼空』になっている。)「初句が唐突で、二句目が強すぎる」という理由からだったらしい。しかし僕個人としては改作以前の歌のほうに心ひかれる。
「焦げきはまれる」夕焼け空の色が作者の熱い思いを、「氷らんとする湖の静けさ」は逆にそれを鎮めようとする作者の心情を象徴しているように思えるのである。上の句の力強さと、下の句の冷たい緊張感との対比も面白い。
赤彦の歌には結句が字余りになるものがかなりある。「結句を字余りにすると一首が重厚なものになる」というのが彼の持論だった。しかし、実作の中では必ずしも成功していないように僕は思う。
この一首に出合ったのは、小学校6年生の国語の授業だった。「湖の水が氷ろうとしている」という連想に驚き、島木赤彦の名とともに心にとどめたことを覚えている。
またこの一首は作者の生まれ育った信州の厳しい気候風土を背景に負っているようにも思える。短歌を「鍛錬道」と称した「赤彦らしさ」もに滲み出ているようにも思う。
その一方でこういったストイックな姿勢は、アララギ内の女性歌人の成長の芽を摘み取ってしまった。これは様々な方の指摘の通りとも思う。
それでもなお、僕にとっては「生まれて初めて心打たれた短歌」であり、わがこころの<うた>なのである。
(初出:「運河」238号)
付記:この歌の初句が「夕焼空」のほうがいいか、「まかがやく」のほうがいいかの判断は、短歌の見方のありように直結する。
「調べ」を重んじる伝統的アララギ風の見方からすれば後者が支持され、歌の勢いを「味わい」とする見方からは前者が支持されるだろう。
一般に「まかがやく」が支持されていると聞いた。しかし、やはり僕は「夕焼空」のほうにこころひかれる。