・ひた走るわが道暗ししんしんと堪えかねたるわが道くらし
「赤光」初版・大正二年の巻頭歌。このあと「赤光」は「再販・三版・改選・改選第三版・新版」と「斎藤茂吉全集」で確認できるだけで6回の版を重ねている。
巻頭歌も当然異なってくる。特に初版と改選の一番の違いは、初版が新しい順、改選が年代順となっていることである。これは歌境の変化を辿り易くするためだったのだろうか。
ここに挙げた巻頭歌は、「悲来報」10首の冒頭にあるもので、斎藤茂吉の師にあたる伊藤左千夫の死の報を聞いて、島木赤彦宅へ走った時のものである。その時、斎藤茂吉は長野県上諏訪に滞在中で、伊藤左千夫死去の電報を受け取ったのである。
作品の特色は二つほどに要約される。
その一。「ひた走るわが道くらし」とあるのが、言葉の上では実際に斎藤茂吉の走っている道なのだが、「自分の進むべき道」を暗示していること。伊藤左千夫が死去したとき在京していなかった無念さや不安感が重なる。「わが道くらし」が重複しているところからもそれが窺える。当時、茂吉は赤彦ともども伊藤左千夫と激しい論争を「アララギ」誌上で展開していただけに、左千夫死後の「アララギ」の行く末にも思いは及んでいただろう。初版の巻頭に伊藤左千夫の訃報を受けての一連を配した意図もその辺りにあったのかも知れない。
その二。「しんしんと」という副詞の配置である。茂吉の歌には「しみじみ」「ひっそりと」「どんよりと」といった副詞・副詞的語句が多用されている。のちに佐藤佐太郎が「虚語」と呼んだものであるが、これは従来の根岸短歌会にはなかった傾向で、古参の同人からの批判を庇ったのが伊藤左千夫。つまり、斎藤茂吉は最大の批判者であるとともに庇護者でもあった伊藤左千夫を失ったことになる。まさに「わが道くらし」である。そこを考えると、より切迫した印象が伝わって来るのである。
付記:伊藤左千夫と斎藤茂吉との見解のちがいは、(1)二つのものを一つの印象で結びつけた茂吉の手法、(2)擬古文体に急速に傾いていった伊藤左千夫や古参の同人への茂吉がいだいた違和感、(3)いま述べた「虚語」の問題などであろう。・・・(1)(2)については島木赤彦も茂吉と同意見だったようである。