「星座α」第12号:作品批評
詩情豊かに
抒情詩には様々な表現方法がある。事実を事実として表現するリアリズム、仮想空間の中のシュールリアリズム、言葉の放つ印象によって美的世界を描く象徴詩など。佐藤佐太郎の短歌は「象徴的技法を駆使した写実歌」(篠弘)と言われる。
語感、声調に配慮し、生きとし生けるものの生命力を捉えるものとまずは規定しておく。
(偶然にであった教会葬の讃美歌を聞く歌)
清涼感と鋭さのある作品である。人間の生命への敬虔な祈りにも似た情感が伝わってくる。
(砂の上の冬の蝶が翅を動かす歌)
冬の蝶。春から夏へかけて懸命に生き、多くは冬を前に姿を消す蝶。生き残っていたのだろう。翅をかすかに動かすとき生のあわれがしみじみと浮かびくる。
(都市の一角を過ぎて路地の匂いに惹かれる歌)
鉄筋コンクリートの団地を過ぎた辺りだろうか。草の生えぬところを過ぎて、土の匂いに惹かれたのであろう。或いは生活臭であったかも知れない。鋭敏な嗅覚で世界を捉えた作品だ。
(海岸沿いに佇んで時差をほぐしてゆく歌)
海外に住む作者。結句に独自性があり、作者の生き様(いきよう)も感じられる。言葉の繋がりにも無理がない。
(朝カギをかける指が、思いがけず悴む歌)
一瞬の体感を捉えた作品。作者の驚きも伝わってくる。四句目は、ややリズムがぎくしゃくしているので工夫の余地があろう。
(生きるのを罪と思う日の歌)
(心の中に言葉を一つ抱いて歩む歌)
この二首は紙数の関係で批評が書けなかったので、ここに書く。
前者。作者自らの生き方を自己洞察した作品だ。重いテーマだ。しかしサラリと詠まれているところが良い。結句の情景が効果的に働いている。
後者。どういう言葉を心に秘めていたのかはわからない。だが道を歩きながら、作者が自分を見つめている姿が立ち上がってくる。一抹の孤独感も感じられる。
(終わり)