・この夜は鳥獣魚介もしづかなれ未練をもちてか行きかく行くわれも・
「あらたま」所収。1914年(大正3年)作。
「鳥獣魚介」は動物全体のことだが、「生きとし生けるもの」と読み変えてもよいだろう。しかし、漢語の方が「夜」との関連で、よりふさわしいだろう。塚本邦雄は「禽獣虫魚」を好むというが、声調は「鳥獣魚介」のほうがよいように思う。
問題は音数の問題。
「この夜は・鳥獣魚介も・しづかなれ・未練もちて・か行きかく行くわれも」
5・7・5・6・10である。「未練」という甘い語を、この下の句の乱調が怪しい印象を醸し出す。それが、上の句とマッチする。「しづかなれ」は命令・希求で、「か行きかく行く」は「さまよう」、つまり彷徨。
歌意は茂吉が言う
「夜がふけた。万物もしづかに居よ。諦念に落着き得ず、未練を以て彷徨する自分も今夜はしづかにあれよ・・・」(「作歌四十年」)
「諦念」は仏教用語で消極的あきらめではなく、「現実の苦悩の向こうにある冷静な心」というところ。そこに単なる愚痴ではなく詩が成立する条件がある。
また下の句が破調ではあるが、「句またがり」がないのも注目点のひとつだろう。