・自殺せし狂者の棺のうしろより眩暈して行けり道に入日あかく・
1912年(大正元年)作。「赤光」所収。
茂吉の生業は精神科医である。その患者が自殺した。これを弔う歌を連作に残している。(連作の題名はいくつかに分かれている)精神科医にとって患者の自殺は、すなわち敗北。治療の失敗である。また、茂吉が自殺や心中死に強い反発を持っていたのも、自身が書き残しているところだ。それを茂吉は深く受け止めた。「眩暈(めまい)して」「棺のうしろ」という表現にそれがあらわれている。そして、道はまたしても赤い。(芥川龍之介の自殺についても同様である。このことについては、茂吉の日記を調べているところ。また別の記事にしたい。)
「赤光」の名称は初版本の跋文で茂吉自身が書いている通り、仏説阿弥陀経に書かれた「・・・黄色黄光赤色赤光・・・」からとられているが、「赤」は命の象徴として使われる色である。(西郷信綱「斎藤茂吉」)と同時に、茂吉にとっては「生と死」の象徴でもある。収録作品全体の色調は「原色の印象」であるが、とりわけ「赤」の印象が強い。
そして収録作品にとりわけ仏教色が強いわけではなく、近代の西欧詩の影響が見られる。僕はこれを森歐外との交流の結果だと思う。(それも別の記事でくわしく述べたい。)
「赤光」のなかの連作のテーマも「死にたまふ母」「患者の死」、「おくに」「おひろ」への相聞も人間の感情の吐露であるとすれば、「生と死」に深く係わっているといえる。
冒頭にとりあげた一首は、佐藤佐太郎「茂吉秀歌」・長沢一作「斎藤茂吉の秀歌」にはとりあげられていない。しかしこの作品、「赤光」一冊を貫く主題に深くかかわっているところからみて、もっと注目されていいものだと思う。ちなみに塚本邦雄「茂吉秀歌・赤光百首」には一連のなかの六首が紹介されている。この点も「写実派」と「象徴派」の評価の基準の違いがかいま見えるようである。