・今しばし麦うごかしてゐる風を追憶を吹く風とおもひし・
「帰潮」所収。1947年(昭和22年)作。
何度も書いているが、「帰潮」の主題は「貧困と悲しみ」。しかしこの作品のスマートさ、大胆さはどうだろう。
作者は麦畑の前に立っている。麦の穂が風に吹かれて動いている。ただそれだけなのだが、心うごかされる。原因は下の句の表現「追憶を吹く風」である。あとに「おもひし」があるから、作者の主観が無理なく出ているからである。所謂「客観写生」とも「リアリズム」とも違う。こういう傾向を指して、岡井隆は「象徴的写実主義」と呼んだのだろう。
歌集の主題である「貧困と悲しみ」はここには出てこない。いや、あからさまに出てこないと言ったほうが正確かも知れない。しかし、下の句が句またがりになっていて、感情の屈折は十分出ている。
それから下の句の「追憶を吹く風」という表現。まこと大胆な詩的把握である。従来の「写生派」には全く見られなかった表現である。「追憶を吹く風」。いかなる追憶か。喜び・悲しみ・怒り・楽しみ。具体的な喜怒哀楽さえ捨象されて、詩情だけが静かにそして深く心に響く。
僕は、この一首が「帰潮」に収録されていることに特別な意味を見出す。たびたび言うように、「帰潮」の主題は「貧困と悲しみ」である。が、この一首はそのことさえも背後に追いやられている。ひとつ間違えば「不用意だ」「ポーズをとり過ぎている」となるところだが、上の句の情景描写の確かさと下の句の句またがりが、思わせぶりを排除している。
佐太郎の新しい境地がここに誕生したといえるのではないだろうか。