岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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金沢の旅

2015年05月23日 23時59分59秒 | 紀行文・エッセイ
金沢は加賀100万石の風格を未だに色濃く持っている町だ。

 宿は金沢城近くの東急ホテル。金沢城、兼六園、武家屋敷の残る長町への徒歩圏内だった。長町には中級武士の屋敷、足軽の家が保存されている。博物館や野外博物館とは異なり実際に住居として使われている。人間の匂いのする屋敷町だ。

 なかでも全国的に珍しいのは、足軽の家。他の藩では足軽は長屋住まいだが、金沢藩では、戸建ての住居が支給された。100万石の特性だろう。

 100万国とは、米の取れ高を示す。そのうち四公六民として、40万国が武士が百姓から取り立てた。これが武士の俸給で、武士の取り分だった。

 足軽は最下級の武士で、鉄砲隊、槍隊を構成した、戦国時代に確立した集団戦に対応してものだ。数が多いだけに藩の財政には負担だった。太平の世となって、かなりの人数がリストラされた。それでも加賀藩には3000人を越える足軽がいたという。

 100万国のうちの数万石が足軽の俸給として使われたのだろう。それゆえ足軽にも戸建て住宅が支給されたのだろう。

 足軽の俸給は10両余り。生活ができずに内職をしたそうだが、それでも一家の年収。江戸時代に10両盗めば首が飛ぶ。といわれたのも無理なかろう。

 この戸建て住宅は、明治の標準的戸建て住宅の標準となったという。


 金沢城。石川門と菱櫓を見た。石川門は国の重要文化財で、周辺の石垣と城壁は独特の美しさがある。金沢城が日本で一番、石垣と城壁の美しい城と呼ばれる。


 兼六園。岡山の後楽園、水戸の偕楽園とならんで、日本の三大庭園と呼ばれる。ともに大名の隠居所の庭園で元禄時代に成立した。東京では駒込の六義園が、その趣きをもっている。

 池が二つと丘が二つ。茶室がいくつもあるが、その一つで抹茶を頂いた。その茶室の庭園が見事だった。抹茶は都会の喫茶店の抹茶とは味が違う。

 周辺にある100万国通り。片側4車線、広い中央分離帯。市役所も川崎、横浜よりかなり大きい。加賀100万国のスケールの大きさがここにも現れていよう。

 100万石のうち前田家の取り分が40万国。江戸時代の享保年間に、金1両で米1石が買えたという。この計算では40万国は40万両となる。年収が千両箱で400個。これはけた違いの金額だ。

 金沢のスケールの大きさは、この巨額の富のなせる技だろう。



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