「『坂の上の雲』と司馬史観」岩波書店 中村正則著
司馬遼太郎は、歴史小説で名をはせた。「坂の上の雲」「竜馬がゆく」「燃えよ剣」などがそれである。司馬が歴史小説、特に近代史を扱ったのには理由がある。
司馬は「アジア太平洋戦争」に従軍した。この戦争で、日本という一つの国が「国策を誤った」と実感したそうである。
司馬は次のように書く。
「『大東亜共栄圏』などとは、むろん美名です。自国を滅ぼす可能性の高い掛けを、アジア諸国のために行うというーつまり身を殺して仁を為すようなー酔狂な国家思想は、日本をふくめて過去においてどの国ももったことがありません。」
つまり司馬は「アジア太平洋戦争」を侵略戦争だったと断言している。ここに誤りはない。では、何故「司馬史観」を問題とするか。
それは、「新しい歴史教育を考える」と称する集団が、司馬の都合のいい所だけを引き合いに出しているからだ。
著者によれば、「司馬史観」の問題点は、3つに要約できる。
1、「明治は明るい」「昭和は暗い」という二元論的発想。
2、資料の恣意的な使用。
3、その結果生じる、日清・日露戦争の性格の規定の誤り。
著者によれば、「大正・昭和は明治を母体として形づくられたものであって、明治と昭和の間にそれほどの大きな不連続性や断絶を置くことはあまりにも単純であるし、この間における国際関係の重大な変化を見落とす危険さえある。・・・『明るい明治』の時代に、実は昭和の破綻の眼は準備されていた。・・・以上のように、ちょっと検討しただけでも、司馬の日本近現代史理解にはさまざまな弱点、欠陥があるのが見えてくる。」
また司馬は「(廃藩置県をさして)日本の封建制度は一発の弾丸も放たず、一滴の血も流さずに実現された」と述べているが、著者は「そもそも270年続いた徳川封建制度が半年たらずで、しかも一滴の血も流さずして倒れるはずがない。・・・戊辰戦争での死者は、官軍・佐幕軍あわせて7000名、日清戦争より多い。」武力討幕がなければ「廃藩置県」はありえなかったという事実を司馬が考慮していないことを著者は指摘する。
さらに著者は、司馬史観が二元論的発想に陥っているために、「大正史が描けない」という司馬の弱点を指摘する。さらに「司馬の美学が事実の選択を恣意的で作為的なものにした。日本人にとって辛くて暗い事件は意識的に切り捨てようとした。・・・土方歳三が尊攘派の志士の拷問にかかわった事実を書かなかったり、日清戦争における旅順虐殺事件を無視して、『日本軍ののみは一兵といえども略奪をしなかった』と不正確な叙述をしたりしていることは、その代表例である。」とする。
日清・日露戦争について。司馬が日清戦争について、「日本の軍事官僚が従来の防衛的戦略思想から攻撃的戦略思想に転換したこと」を見逃していることを指摘する。
日露戦争について、司馬は司馬は、「強いてこの戦争の戦争責任者を四捨五入して決めるとすれば、ロシアが八分、日本が二分である。」「朝鮮がロシア領になってしまったという恐怖がこの時代の日本にはあった。」と述べている。
しかし著者は「ロシアが実際に朝鮮を侵略し、さらには日本に攻め込んで来る可能性があったかというと、・・・最近の研究はこうした過度の「ロシア脅威論」に否定的なのである。」と述べる。司馬が多くの史料に目を通しているだけに、司馬の叙述が「歴史的事実」とされてしまうことへの、危惧を指摘する。
「新しい歴史教育を考える会」は、この司馬の亜流であり、客観的根拠、独自性が全くないと断ずる。
面白いエピソードが一つ。吉村昭。この作家も、歴史小説を書く。彼が「司馬遼太郎賞」を辞退したことに、司馬との「史料の扱い方」の違いが原因ではなかったか、としている。
「坂の上の雲」は、日清・日露戦争を扱っているだけに、一歩間違えれば「軍国主義礼賛」となる。これは司馬自身も望まないことだろう。
なお、NHKドラマ「坂の上の雲」の批判は、「歴史に関するコラム」を参照されたい。