「酒の歌」(「夜の林檎」より)
・出羽越後会津下野伏見灘こころは遊ぶ酒を飲むとき
・飲みさしのワイングラスに映りおり照明灯の光の反射
・あらかじめ量を定めて飲みたるに空の徳利を幾度もふる
・美しき記憶よみがえる夏の夜にブラッドマリーのカクテルを飲む
・塵労に日々追われゆくわれらゆえ今宵は酒を飲みたまえ君
・神経の高ぶるこの夜とりあえず今は一人に酒を飲まんか
これらは僕が「ヤケ酒」を飲んでいたころの作品である。「ヤケ酒」の原因は、先の記事「天童大人プロデュース『詩人の聲』」の記事で書いたので繰り返さない。
酒は「百薬の長」とも呼ばれ、また「命を削るカンナ」とも言われる。しかしこのころの僕には、確実に「命を削るカンナ」だった。「一升酒」を平気で飲んでいた時期に「胃癌」が発見されたからだ。
そして、胃は全摘された。1995年のことだった。それから8年。幸い「癌の再発」はない。そかし、胃が無いために日常生活に不自由を感じている。自業自得と言われれば、返す言葉が無い。
20代には、酒に加えて「ドカ食い」もしていた。体重も100kgを越えていた。煙草も吸っていた。これで癌にならないほうがおかしい。そしてその頃の僕の常套句に「旨いものをたらふく食って、病気になるなら、本望」などと小理屈をこねていた。
後悔先に立たずである。ちなみに今は体重63kgである。ダイエットに成功した訳だが、その方法は「カテゴリー:身辺雑感」を参照されたい。
「運河」誌上での作品批評を書いて、記事を終わろう。
・出羽越後会津下野伏見灘こころはあそぶ酒を飲むとき
「私はお酒が飲めない。お酒の分解酵素が足りないようである。しかしこの歌を読んだ時、まずリズムの良さに心を誘われた。一度読んだら覚えてしまう暗唱性がある。出羽越後・・・と畳みかけるように重ねた名酒どころの地名には、リズム、音感、スピード感がある。そして最後に伏見灘できっちり決めたあたり、韻を探った末であろう作者の思惑がうまく生きている。お酒をこよなく愛する人の様、またそれらの名酒を前に、一人の至福の心を遊ばせる作者の姿が目に見える一首である。他に『量を定めて飲みたりしが空の徳利を幾度もふる』があって思わず微笑む。
人生を楽しむという点に於いて、お酒の醸す快楽を知る人の方が、それを知らない人よりその分確かに分があるかとも思ったりした。
酒は飲むべし、飲まれるべからず。か。」(IGRSさんによる)
(「運河」272号「夜の林檎」特集)