岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

「星座α」第7号より:作品批評

2013年11月05日 23時59分59秒 | 作品批評:茂吉と佐太郎の歌論に学んで
五感を活かして 「星座α」第7号より

 佐藤佐太郎も斎藤茂吉も「自分の体内をくぐった言葉で詠う」という意味のことを、異口同音に述べていますが、これは「五感を活かして対象の核心を捉える」ということです。

 今号ではそこに着目してみました。

 先ず視覚。

 (庭木々の梢をわたる月の歌)

 (庭を飛び来る揚羽蝶の歌)

 (晴れわたる窓のそとの歌)

 (川の鯉の歌)


 次に聴覚。

 (カラビナのふれあう音を聞く歌)

 その次に味覚。

 (春の山椒を食べる歌)


 それから触覚。

 (棺の中の姉の頬に触れる歌)


 最後に嗅覚。

 (ズボンに終電の匂いを感じる歌)


 以上の9首は、五感を活かし外界を捉え、表現力も確かなため、主題が鮮明に、しかもある時は切実に浮かび上がります。

 そしてその五感を活かすことの延長線上に心理の掘り下げ、幻想、社会詠などが成立します。

 (落ち椿に別れを感じる歌)

 上の句の情景が、下の句の心情を表わす象徴となっています。

 
 (薄日の中で蓮の葉の上を転がる露の歌)

 幻想的な景を確かに捉えると、幻想的な作品になります。


 (過疎化の進む合歓の咲く里の歌)

 過疎化は社会詠の題材ですが、「合歓の咲く」「葉は寄り沿ひて」という実景の描写がスローガン的短歌、事実報告的短歌となるのを回避しています。




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