出羽・越後・会津・伏見・灘。いずれも米どころ、日本酒の名産地である。全国ブランドの日本酒の銘柄が思い浮かぶ。
下野は今の栃木県で、有名ブランドの日本酒はないが、越後とは山一つ越えた地域。人の往来は昔から頻繁だ。近所の酒屋でこんな話を聞いた。
「栃木のコシヒカリはうまいんです。コシヒカリと言えば越後(新潟県)ですが、そういうブランド米じゃあないぶんだけ日本酒の原材料が安く手に入る。そこに目をつけて、新潟から杜氏を招いて日本酒を仕込んだんです。うちの店の注文生産ですよ。味は新潟産にひけをとりません。価格は半分ですが。」
僕の住んでいる町の名前がズバリそのまま酒の名前になっている。それが気に入って日本酒といえば、その店でその酒を買うことにした。たちまち僕の家の台所に一升瓶の空き瓶が並んだ。休日には、酒屋に空き瓶を返しに行くのが常になった。この習慣は胃癌になるまで続いた。
この一首は「お気に入り」の一つで歌集にも収録したが、印象的な批評を二つ頂いた。
その一。「お前にもそんな遊び心があったのか。安心したよ。」
僕はよほどの朴念仁に映っていたらしい。「名詞の連続も面白いぞ」とも言われた。
その二。「上の句のリズム感がいい。これだけ多くの地名を詠み込むにはかなりの工夫が必要だったでしょう。」「酒は飲むべし、飲まれるべからず」
ところが当の本人としては、この歌を詠むのに苦労した記憶がない。実をいうとコップ酒を飲みながら、半ば即興で詠んだものだ。実際にのんだことのある酒のブランド名を思い浮かべながら、楽しんで詠んだ。酔っ払いながら忘れないように手帳に書き留めてまた飲んで、そのまま寝てしまった。
このように力みがなかったのが成功の原因だろう。「怠け者は努力家にしかず。努力家は楽しむ者にしかず。」という言葉もある。力が抜けては安易になるが、力みは抜かなければいけないようだ。