「運河の会」東京歌会 3月8日 於)早稲田奉仕園セミナーハウス
「運河の会」東京歌会は、長澤一作代表が元気な頃は「東京研究会」というネーミングだった。これは添削の場ではなく、「新写実」を目指して、作品研究の場だった。
その時の活力が蘇ってきたようだ。現在は佐瀬本雄代表が指導者となっている。その佐瀬代表が言うには、「近頃は一人一人の独自性が現れてきた。」
今回の出詠者は13名。作品の素材も特徴的になって来た。病気療養中で作品だけ毎月送ってくる会員がいる。その人の作品は、何時も祈りのような情感を表現している。学校の教え子のことを作品化する人もいる。華道、茶道、書道と言った、日本の伝統を作品化する人もいる。日常の些細なことに、心を動かされ作品化する人もいる。歴史を素材にする人もいる。
佐瀬代表の指針は、佐藤佐太郎だ。「作品は作者の意図を最大限くみ取って鑑賞するべきだ。」という言葉にそれが現れている。
表現の曖昧さは、表現の至らなさ、表現は多少まずくても内容のある作品をというのも、そうだ。「星座かまくら歌会」で尾崎左永子主筆とほぼ同じことをしばしば聞く。また佐瀬代表は、高校の教師だったから、国文法や日本語の語源にくわしい。助詞や助動詞の用法の違いにも、しばしば言及する。
この日はそれらに加えて、「簡略化して主題を鮮明に」「一つの確かな情感を表現せよ」という発言があった。
僕の発言は、「古語を不自然に使わないこと」「作者の感じたことを先ずくみ取り、それをより鮮明に表現するのには、どういう表現が可能か」ということだった。
先月は「ISによる日本人人質殺害事件の余波」で体調を崩して欠席したが、今月は「運河」「星座」あわせて、4回の歌会に出席できた。亡き山内照夫氏は「若い頃月に4回から5回の歌会に出席していた」という。
歌会で作品を批評してもらえるのは、またとない研鑽の場だ。
会の終了後、恒例の懇談会があった。「作品の進展」をお互いに確かめ合う場となった。