手元の文献のどれかはわからなくなってしまったが、齊藤茂吉の第1歌集「赤光」が刊行された時代は「日本文化のルネサンス期だった」とあった。そこで短歌をてはじめに改めて整理してみた。「赤光」の初版本の刊行は、1913年(大正2年)である。(短歌については伊藤左千夫・斎藤茂吉などの評伝の巻末の年譜を参照した。)
1913年(大正2年)齊藤茂吉「赤光」、北原白秋「桐の花」
島木赤彦・中村憲吉「馬鈴薯の花」
「生活と芸術」創刊
1914年(大正3年)「水甕」創刊、「国民文学」創刊
おもうまま書き出してみた。まさに驚くべき勢いである。
一方、散文の分野はどうか。石丸久著「現代日本文学史概説」によれば、「新現実主義文学」(広津和郎・尾崎一雄ら)・「プロレタリア文学」(中野重治・葉山嘉樹ら)・「新感覚派」(菊池寛・芥川龍之介・川端康成ら)・「新興芸術派」(尾崎士郎・井伏鱒二・尾崎一雄ら)・「新心理主義文学」(伊藤整・堀辰夫ら)がそれぞれの雑誌に依りつつ、また互いに重複しつつ活動を展開していた。
明治期の文学がいまだ擬古文体であったり西洋からの直輸入的な面があったのに対し、多彩なものがあらわれていた。それが大正初期だった。
短歌はそういった時代の文学の傾向に刺激され、また刺激を与えつつ発展して行く。第一次世界大戦が終わり資本主義が相対的に安定してきたこの時期に、新時代の文化の一翼として斎藤茂吉の「赤光」があらわれたのである。