「俳句のほうでは、その材料を取り扱うのに先鞭をつけて、どしどし発達して行った。そこで橘曙覧の歌などは材料の豊富なる点で、その新鮮なる点に於て、当時の平凡な歌壇では群鶏中の一鶴の観があった。併しそれでも俳句の方に比べたならば到底及ぶものでないといふことを子規が既に論じてゐる。」(「長塚節の歌」)・・・岩波文庫「斎藤茂吉歌集」200ページ。
僕自身は素材も表記も、茂吉の築いたものの上に多少とも「新」を積んだつもりである。
僕の第二歌集「オリオンの剣」の五首。(「角川短歌・書評」より)
・まぎれなくこの世に生(あ)れし一人なり靴を濡らして秋の草踏む・
製作年代から言うと第1歌集「夜の林檎」の時期にあたる作品だが、もれてしまったので今回収録した。或る人に「嘘がない」と初めて誉められたもの。たくさんの手紙・葉書を頂いたが、その多くにこの歌がとり上げられていた。
・美しき記憶のままに残さんか机の上の封書開かず・
封書を頂いてもこういう時はあるもの。別れの歌と受け取ってもらっていい。時に手紙は美しい記憶を台無しにする。
・過去(すぎゆき)に失いしものひとつずつ拾う心地ぞ手紙を書くは・
「出雲 < 炎 >短歌大会」の入選作。手紙・葉書・年賀状を書く時は相手の顔と声を思い出しながら書く。特に長年あっていない人には。文面もすべて違う。だから僕の年賀状は文字だらけ。ただし、今年だけは病気のため「近況はブログで」のひとことで失礼した。
・かくばかり豊けきものぞ山に咲く桜の色に濃淡のあり・
日本歌人クラブ「全日本短歌大会」入選作。自宅の窓から見た里山の景。数種類の桜が里山を覆い、種類ごとに色に濃淡があるのにある日気づいた。この桜にやや先んじて辛夷の花も咲く。さらに一番最後に周辺の歩道に植えられた八重桜が咲く。
・戦場は海のかなたにありぬべし青また青の連なりの果て・
房総半島で西の方角の海を見たときの歌。その向こうには中東がある。アフガニスタンもある。そう感じてしばらく海をみていた。地名・人名を入れなかったところに普遍性があるように思う。(岡井隆ならもっと直接的に思想を詠み込んだだろう。たとえば「ネフスキー」のように。)
「多く自己を起点とした歌が多い」「知的なもの言いが多い」「結句終止形が多い」の三点をもって、「少し息苦しい感があった」と評された。
しかし、僕の短歌作品の方向性はまさにこの三点にある。つまり「自己凝視」「感覚に走らない」「文語の終助詞はなるべく使わない」(古風になりすぎるから)。
「息苦しい」という指摘も「息苦しいまでの深い悲しみ」が伝わって頂ければ幸いだ。(「赤光」と「オリオンの剣」を読んだ英文学者の友人からは「君の歌集は茂吉のと比べ、程良く感情が抑制されている」と批評を頂いた。)
「世にはひとしき人はなく、抽象を約束する単元的意識の感覚に於いてすでに、感覚の情調に於いてすでに個人特有のものがあるに相違ない。わたくしは自己をいとほしまねばならぬ。」(「童画漫語4」)・・・岩波文庫「斎藤茂吉歌論集」41~42ページ。