・信濃路とおもふかなたに日は入りて雪ふるまへの山のしづかさ・
「石泉」所収。1931年(昭和6年)作。岩波文庫「斎藤茂吉歌集」158ページ。
茂吉の自註は簡単で9首を列挙したあとで、
「昭和6年には右のやうな歌がある。おほむね平凡な歌であって、句の上などに奇抜な工夫などが無いやうであるが、写生の比較的真面目に出来てゐるものも交つてゐるやうである。」(「石泉・後記」)
しかし真面目な写生歌ほど難しいものはない、というのが「写実派」の歌人なら身にしみているだろう。塚本邦雄のいう「非の打ちどころのない叙景歌」もこのうちにはいるだろう。
長沢一作著「斎藤茂吉の秀歌」には次の批評がある。
「信濃の方向に日は沈み、空には寒いような明るさが残っているのであろう。その余光のなかに山々は見えている。いくばくもなく雪は降るだろう。そこで< 雪ふるまへの山のしづかさ >といっている。深く重い静寂が一首を領している。」
晩秋の寂しい情景である。「情」は「こころ」、「景」は「光景」。心には形がないから視覚で捉えたものを表現して情感をあらわす。これが情景である。
それに加えて、茂吉らしい遠近感が表現されている。上の句の「おもふかなた」と下の句が主観である。佐藤佐太郎のいう「客観・主観の一体化」だ。
塚本邦雄「茂吉秀歌・つゆじも~石泉」・佐藤佐太郎「茂吉秀歌・上」では触れられていない。この2冊は、茂吉の自註「作歌40年」「歌集の後記」の記述に依って作品が選ばれている傾向が色濃いが、この一首は見逃せない作品だと僕は思う。