・波さわぎいたぶる潮の流れよりうつつの音は低くきこゆる・
「群丘」所収。1957年(昭和32年)作。岩波文庫「佐藤佐太郎歌集」105ページ。
佐太郎の自註がある。
「鳴門渦潮。中心に向って潮が落ちこみ、渦の周囲は波が立ちさわぎながら流れてゐる。視覚にはさわがしいが現実の音(「うつつの音」)は高くない。表現において力をこめれば言葉は充実する。」(「及辰園百首自註」)
佐太郎らしい簡潔な自註だ。「さわぎ」「いたぶる」は非常に強い表現。特に「さわぎ」は擬人法であり、写実派としては議論のあるところだが、渦潮をあらわすにはこれがふさわしい。
「渦潮かどうか暗示されていない」
という批判もありうる。だが、それを打ち消すのが下の句の表現。
「うつつの音は・低くきこゆる」により重厚感が溢れる。しかもこの部分は作者の発見でもある。普通なら渦の形にのみ心を留めるところだが、聴覚をはたらかせたところによって一首が成った。五感を鋭くはりめぐらすのが、佐太郎の作品の特徴だ。
そして「客観・主観の一体化」という面から見ると、上の句が客観・下の句が主観である。
ちなみに「及辰園」というのは、佐太郎が住んでいた家の近所の漢詩人の家の庭のこと。佐太郎と意気投合し、「庭をいつでも散策してよい」と言われたとかで、佐太郎はたびたび庭を訪れて歌を詠んだという。(日本人の作る漢詩は大正時代に滅んだといわれるが、佐太郎は蘇東婆の詩を好んだので意気投合したのだろう。)
