この詩集は作者が大学院生の頃に刊行された。中に栞があり、吉田文憲の一文が載せられている。
「前世へ、未生以前へ、未練がましく、ときに呪詛の言葉を吐き出しながら激しく遡ってゆくかのようなこの詩集の魅惑的なカオスの中で、柴田さんのいまそのような空白、恐怖の源泉と向き合っているのだろう。」
作者20代半ば以前の作品群だ。しかしそのおどろおどろしさは言葉にならないほど激しい。「陥没後」「流刑地にて」「醒め遣らぬ」「ある狂人の日記」「子取りの産声」の長編が収録されている。
しかしその作品の小題はほとんど意味をなさないほど同じテーマが反復される。
「じきに死にます/じきに死にます」「わたしは 生まれつきの水子なのかもしれない」
「そしてまた僕の脳を入れ替える」「あっと言う間もなく処刑台の少女の刑は執行された」
「わたしを呪う 声が聞こえる」
「死ぬことを約束されているのに わたしの外枠だけはここに留まらなければならない」
「わたしは一生子供として生き、狂気の中で繰り返し死に続けることを誓う」
「完全に人が途絶えてしまった遊園地の/いまわのきわに誰が住む」
「それは母に託された わたしの幼い狂気」「鶏の血抜きは忘れずにお願いします」
「ただわたくしは死につづけます」
繰り返されるこの呪いの言葉は何だろう、何に向けられたのだろう。まるで自分の命を自分で縮めているようだ。これが20代の作者の作品だろうか。驚くばかりである。こういうふうに言葉にすると体調を悪くすると神経科の医師に聞いたことがある。
詩集にまとめるように勧めたのは誰だろう。酷なことをさせたものだと思う。
だが今の作者の作品からはこの呪いの言葉は消えた。おそらく次回の詩集では新境地を開くに違いない。