短歌には幾つかの約束事がある。
例えば、本歌取り。幾つかの条件がある。1、誰でも知っている歌を本歌にすること。2、本歌より一定の期間を経過していること。3、本歌とは異なった角度で詠むこと。
こういった約束事はそれが成立した、根拠や背景、理由がある。だが、「の」は二つまで、という約束事は、それまで聞いたことがなかったし、何よりも納得できなかった。なかば反発する気持ちで「の」の繰り返しの歌を作った。
・街頭に照らされ闇に浮かびおり夜の桜の花の輪郭「夜の林檎」
・陣ぶれの太鼓のごとく早朝の駅のホームにチャイムが響く「夜の林檎」
・紫陽花の花の終わりしその青き茎のまわりに蔦が絡まる「夜の林檎」
・六月の雨降り続くわが庭の竹の根本の湿り乾かず「夜の林檎」
・すき透る稚魚は群れつつ泳ぎおり森の泉の澄む水の中「夜の林檎」
・風の中うごくことなき墓石のめぐりに卒塔婆の打ち合う音す「夜の林檎」
・沼底の砂の動きをわが見れば湧水地点の位置確かなり「夜の林檎」
・高架路の下なるここのホームにておりおり陽差の強さが変わる「夜の林檎」
・桜葉の葉裏の白を際立たせ今日初夏の風は勢う「夜の林檎」
・シリウスの光はまぶし一月の夜の空気の透き通るまで「夜の林檎」
・ふすま戸の引き手にふれる時の間に心をよぎる言の葉のあり「夜の林檎」
・弾力のあるごと秋の陽を返すビルの反射がこの目に眩し「夜の林檎」
・かやの木の一木造りの釈迦像の衣紋のひだの波は連なる「夜の林檎」
「の」は荘厳な声調がある。春日井健が好んだ用法でもある。だから僕の作品には「の」は欠かせない。「の」は「二つまで」という、余り意味のない約束事を作ったのは誰だろう。
こういったことを、岡井隆は「ルールの一人歩き」という。