・反響のなき草原に佇つごときかかる明るさを孤独といふや
「さるびあ街」所収。
歌意に難解なところはない。注目すべきは、上の句の比喩。「ごとき」を使用した直喩だが、比喩の独自性が際立っている。
孤独の心情を形容するのに「反響のなき草原」で始まり、「佇つごとく」と続く。「佇つ」は「佇む」の漢字を使用しているが「まつ」と読ませるようだ。では作者ま何を「まつ」のか。そこは読者にゆだねられるが「現在の孤独とは対照的な状況」だろう。
しかも、下の句で「かかる明るさ」と続く。意外な展開だ。上の句のが「暗さ」を連想させて「明るさ」へと転じる。
改めてこの作品を読んで気づいたことが二つ。
1、作者は「平凡な比喩」を評価しない。歌会での批評の基準だった。「反響のなき草原に佇つ」とは、類例がない。作者が冴えているところだ。
2,「明るさ」へ転じる箇所。ある著名歌人が「佐藤佐太郎の歌を読んでいると、あれ?と驚かされる」という。尾崎自身は「短歌を詠うに際し、序破急を意識せよ」「秀歌には、起承転結がある」などと言う。「明るさ」への転換が、序破急の「破」、起承転結の「転」であるのは言を俟たない。佐藤佐太郎から受け継いだ技法であろう。
この二つが作品の焦点「孤独」を際立たせて余りある。尾崎左永子の代表作の一つだ。もっと注目されても良い作品であろう。
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