日常

「虚無僧尺八の世界 京都の尺八 明暗真法流 鶴の巣篭」

2016-07-06 01:00:47 | 音楽
尺八奏者の中村明一先生のCD発売記念(「虚無僧尺八の世界 京都の尺八 明暗真法流 鶴の巣篭」)にて、よみうり大手町ホールのLiveを聞きに行きました。


尺八の音。
立体的で広がりがあり伸縮自在の音世界で、本当に驚愕。


静寂の中で、一音一音が自立しているのです。
一音一音が自立し独立した成人のよう。互いに響き合い、それでいて繋がり続け(循環呼吸法のためか、息つぎがほとんど分からない)、本当に驚きました。

目をつぶって聞いていると、音が膨張したり収縮したり、面のように聞こえたり、立体で聞こえたり、時には呻き声のように聞こえたり、、、、こうした音が動き続けている体験ははじめてで、ほんとうに不思議な体験でした。自然や森の音空間のように。

中村先生はバークリー音大でJazzも学んでいたり、尺八という日本の伝統の音の世界を拡張させる教養の深さと広さの器があります。
一音成仏の演奏に、本当に心を動かされました。

尺八は虚無僧が全国を行脚しながら広めたもの。
だからこそ、そこには深い精神性や霊性の歴史が織り込まれているようです。

CD「虚無僧尺八の世界 京都の尺八 明暗真法流 鶴の巣篭」




・・・・・・・
(以下、補足までに中村明一先生から学んだことを)

中村明一先生とのご縁を頂いたのは、
「「密息」で身体が変わる」新潮選書(2006)


「倍音 音・ことば・身体の文化誌」春秋社(2010)


を読んで感銘を受け、個人的に密息という呼吸法を学んでいます。
もう5年前ですが、「倍音」の本はブログに感想を書いたこともありました。
○中村明一「倍音 音・ことば・身体の文化誌」(2011-10-21)



■密息

「密息」の呼吸法も、いつも新しい発見や気付きがあります。

密息とはお腹を膨らませたまま深層筋を使って横隔膜を持ち上げる呼吸法のこと。
密息では1回の呼気量・吸気量が大きくなり、体は安定性と静かさも保ちます。集中力が高まりながら自由な開放感も感じます。
この特殊な精神状態が尺八演奏の質を支えているようです。


古来の日本人は、和服生活や自然環境のため「密息」が自然に行われていたのではないかとのことです。
泥やぬかるみが多い日本の四季がある自然環境では、腰を落とし骨盤を倒して膝を曲げる姿勢が通常で、骨盤を倒して下腹を張りながら呼吸をする密息の条件が自然に出来上がっていったのかもしれません。

呼吸と環境(床、着物・・)とが互いに影響しあい呼吸法を育んだ。
それが日本独特の芸術や芸能や音楽を支え、「静けさ」を基調としたシンプルで優雅で抽象化された動きともつながったのかもしれません。



■倍音
中村先生の著作から、倍音も大きな学びを得ました。

耳で聞いた時、同じ音程でも音色が違うのは、その「基音」に重なっている「倍音」で決まっています。

一般的に言われる倍音は「整数倍音」。これは基音の周波数を整数倍したもので、西洋の楽器によく見られるもの。
これに対し、『非整数倍音』は、自然界の音やかすれ声のように、基音と倍音との関係が整数倍ではない複雑な音のこと。西洋ではノイズ(雑音)とされています。ただ、和楽器を始めとした民族楽器は『非整数倍音』の要素が高いのです。

一般的に、「整数倍音」の声は、カリスマ性や荘厳性を高めると言われていて、ジョン・レノン、ボブ・ディラン、美空ひばり、タモリの声は整数倍音の比率が高い。
それに対して、『非整数倍音』は、重要性や親近感を高め、森進一、ビート・たけし、さんまは『非整数倍音』が多い話し声とされます。
「子音」は自然界の音に近く、『非整数倍音』の比率が高いです。


日本語とポリネシアは「母音」だけで意味を伝える言語が多く、言語的に珍しい言語(あい、あう、あお・・・)。それ以外の言語は単語の中に「子音」だけの音も多いのが特徴的。


日本語は言語構造がシンプルなので、同音異義語が多数生まれます。
「し」という同音異義語であれば、日本人は「死」「師」「詩」「市」・・・の違いを、『非整数倍音』の割合で判断しているようなのです。

重要な「し」ほど『非整数倍音』が多く含まれます。簡単に言うと、ザラザラ言うか(非整数倍音)、はっきり言うか(整数倍音)の違いです。


日本人は、日本語そのものが持つ言語特性のために、音や意味ではなく、音響(音の響き、倍音構造、特に『非整数倍音』と言われるざらざらしたノイズとされる部分)で意味を判読しているようなのです。日常的に使用する母国語に無意識で大きな影響を受けているようです。


そうした「音響」(音の中に潜む倍音構造)の理解が、人の心や体への音の影響として極めて大事だと思います。



西洋音楽では<基音+整数倍音>で音楽を聞かせるわけですが、
邦楽(尺八、三味線・・・)ではそこに西洋でノイズとされている『非整数倍音』がどういう響きや構成で加わるかで音の質がかわってくるのです。
この辺りが、邦楽の構造を理解するために基礎になると思います。



自分は武満徹さんを尊敬しています。
立花隆さんの、武満徹さんの膨大なInterviewを元にした長大な本も読んでいるところです。
「武満徹・音楽創造への旅」文藝春秋 (2016/2/20)


武満さんは、西洋音楽(整数倍音)と邦楽(非整数倍音)の本質を知りつくして作曲した偉大な現代音楽家だと思います。
そこには高い次元での統合があります。


・・・・・・
中村先生から得た学びから、話がどんどん別の方向に展開して行きましたが、、、、
日本では哲学や医学がすべて芸術(音楽や芸能)に昇華されたと感じている自分としては、邦楽の世界に深い精神性と霊性とを感じています。
静寂の中から生まれる中村先生の演奏からも、そうした深く底流する霊性の歴史を感じ取りました。

2 コメント

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初めて聞くことば (スイッチ)
2016-07-07 16:57:14
INAさん、すごいね。
初めて聞く世界の言葉にちょっと震えました。
そして、納得できることばかり。
とくに、シの発音。
確かに、確かに。
全部の音が違うけど、死の音の複雑さったら。
これは、読むべき本ですね。
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kotoba (INA)
2016-07-27 08:19:41
>スイッチさん
そうなんですよ。
倍音の話しは音楽を越えて,言葉そのものの世界なんですよね。
<音響>と呼んでいるものが倍音の世界で,音楽をどう聞いているかということは言葉の問題にも通じて,言葉の問題は思考方法にまで通じると思います。そして,それが文化を生む母体となっている。。。言語がそれまで多様化したものも,国の歴史や風土とも関係があると思いますし,ほんとうにおもしろいです。
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