真・善・美。
このことを3歳くらいの頃から漠然と考えていた。
真と善は大切だが、同時に争いの種ともなる。
聖書の「善悪の知識の木」で、「知識」と訳されているのは「知ること」。「知る」には「支配する」という意味もある。
善悪の実を食べるということは、何が善で何が悪かということを人が判断する力を持つという意味でもある。
ものごとの真と嘘、善と悪・・・を判断し、そこに自分が支配されると、「じぶん . . . 本文を読む
コンゴ共和国の「サプール」と言われるエレガントでオシャレな紳士たち。
NHKの地球イチバン「世界一服にお金をかける男たち」を見た。
素晴らしかった。
魂が共振した。
ほんとうにかっこいい!と思った。
「僕らは愛と平和のためにオシャレをする。」
「サプールのファッションをすると、別の精神が宿るんだ。」
「エレガントな服装をすると優しくなる。汚い言葉も人を傷つける言葉も、出てこないんだ。」
そう . . . 本文を読む
草場一壽さんの陶彩画を銀座に見に行った。
生で見る陶彩画は素晴らしく、その圧倒的な色彩感覚と、高められた技術の結晶、そして、いまここに崇高な次元の扉が空いていることに、呆然として、しばし動けなかった。からだが動くことを許さなかったとも言える。
絵とは体験。
視覚だけではなくて。
僕らは体験することで、本当に学習できる。
だから、絵や芸術を全身の細胞で体験することをためらってはいけない。
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2014年秋 丹後の旅
行くところ行くところで虹が出てきました。
追いかけているようで、ついてくるようで、不思議なものです。(^^
天橋立→成相山→伊根 舟屋→籠神社→真名井神社→天橋立→月の輪田→比沼麻奈為神社→出雲大神宮
など。
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魂の存在を信じることをできないひとは、魂の深い体験をしたことがないというだけ。
あちらの世界の存在を信じることをできないひとは、生や死の深い体験をしたことがないというだけ。
愛の存在を信じることをできないひとは、深い愛の体験をしたことがないというだけ。
そんなに難しいことではない。
相手を説得する事でもなく、科学で証明する事でもない。
体験の有無の問題だから、その体験の時期がやって来るまで暖か . . . 本文を読む