三菱一号館美術館の「カンディンスキーと青騎士展」は感動した。
ワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky、1866~1944年)は、ロシア生まれの抽象絵画の創始者とされる画家。
カンディンスキーが抽象画にいたるまでの「流れ」がスッと入ってきた。
絵の下にある解説もとても丁寧で、カンディンスキーへの深い愛情や敬意が伝わってきた。
カンディンスキーの絵は、じっと時間をか . . . 本文を読む
なんとなく、多田富雄先生の「免疫の意味論」(青土社)を再読している。
ときに、「なんとなく」に任せて本を読むようにしている。
そのために部屋の中に本を積んで置いているようなものだとも思う。
本の山から、何か湯気のようなものがモクモクと出ているのかもしれない。
でも、別に火事ではないので、心配はいりません。
「免疫の意味論」は1993年に出た本だけどまったく古びていない。
むしろ、いまだに . . . 本文を読む
こんど、ブッダ実際の語りに一番近いとされている「スッタニパータ」の読み合わせをすることもあり、その「声」が持つ圧倒的なリズムに魅せられた。まさにおんがく。にわかに仏教づいている。
その流れで、伊藤比呂美さんの『読み解き「般若心経」』(朝日新聞出版)を読んだ。
比呂美さんご本人も、この本を作られた編集者の方も直接知っているということもあって、かなりむかしにもらっていたのだけど、
本を本棚に . . . 本文を読む
特殊なこと、自分の常識で理解を超えているもの、というのがこの世にはある。
どんな荒唐無稽に見えるものであれ、「そんなものは<絶対に>存在しない」と言ってしまうのは、それ自体が強い信仰だ。
あらゆることがらにおいて、「絶対にない」と言い切るのは難しい。
科学でも学問でも、「ある」ことの証明は探してしまえばそれで証明できるけど、「ない」ことの証明は難しい。
深海生物もジャングルにいる . . . 本文を読む
絵とか何かを見に行ったとき、ブログにひとことでも何か残しとけば、年末に見返すときに役に立つってことを去年感じた。
簡単な感想も、ブログに気軽に書き残すことにしよう。
出光美術館の『酒井抱一生誕250年 琳派芸術 ―光悦・宗達から江戸琳派―』を見に行った。
改めて琳派はいいなと思った。
そこに、「流れ」が感じられて。
琳派は「私淑の関係」って言う。
直接教えたとか教えてもらったとかでは . . . 本文を読む
■自我と感情
自我は、意識中心の生活では大事な司令塔。
そこでは、数ある派閥の中で、「主流派」が司令塔になって、自我を束ねている。
でも、その司令塔は時におかしくなる。
それは、自分を含め、他人を含め、歴史を含め、いろんなものが証明している。
そんなとき、寝て夢を見る意識を失った無意識のときでも、常にありありとリアルに存在としている「からだ」としての自分に場所を譲ったほうがいい。
「から . . . 本文を読む
■「つながり」
ブログは、浅い層と深い層を、縦糸と横糸として織り込みながら書いている。
そうすると、ふと誰かの深い根っこにコツンと当たることがあるみたい。
心理学者のユングは、「集合的無意識」という名前で呼んでいた。
村上春樹さんだと「深い井戸での壁抜け」なのかな(「ねじまき鳥クロニクル」より)。
ひとは、ひと。
どんなひとでも、程度の差こそあれ、同じようなメカニズムで生きている。
呼吸をし . . . 本文を読む
人生の中で、時に訪れる障害、病い、離別、苦しみ・・・、いろんなものがある。
そういうものは、自分の人生から排除されるべきものと思われがちだけど、その中には「矛盾」という宝に満ちているのだと思うようになった。
その中に矛盾が多ければ多いほど、大きければ大きいほど、その矛盾を自分の中に取り込むために、深く強い精神性が求められる。
それは、自分が跳躍したり、自分が成長したりすることのきっかけにな . . . 本文を読む
2011年あけましておめでとうございます。
ことしは、社会人になってはじめて実家の熊本で年を越しました。
実家に帰ると大きい液晶テレビがお迎え。電気業界の思惑にうまく乗ってます。エコポイントの思惑です。年末年始は、目的もなく家族でテレビをダラダラ見ながら、テレビに向かってどうでもいい悪態をつきながら、だらだらと年を越しました。最高でした。家族みんな、テレビ・LOVEなのです。(姉は録画を2倍速 . . . 本文を読む