互いが大地に深く深く根を張っていれば、ダイアログは常に柔軟でCreativeになる。
なぜなら、大地を介して互いがつながっているから。
違いを、魅力として受け取ることができる。
花瓶同士や花壇同士での対話は、互いが信念体系の土俵から一歩も出る事がない。
お互い学ぼうとしない関係性だ。違いを、敵として受け取る。
その二つの対話は、見た目は似ていても、まったく違うものだ。
医療でも他の . . . 本文を読む
すべてのものには表と裏があり、表と裏は一つのもの。
生と死もそういうもの。
生と死、表と裏、裏と表をつなぐには、死と生の接点を失わず、つなげること。
自分は2011.3.11以降、色々な事情があり、毎週末のように東北を歩いていた。
東北や福島を歩く行為が、そのまま祈りの行為のようだった。
土地に行くと、亡くなった方々の思いを感じた。
それは必ずしも重いものではなかった。かなしみなどという言 . . . 本文を読む
3.11は自分にとって重要な意味がある日。
自分も、自分の内なる声に耳を傾けて、耳を澄ました。
奥の奥の奥まで。
どういう社会、どういう未来をつくっていくのか。
今までできてしまったものはしょうがない。
過去のことを批判するのはやめた。
むしろ、感謝して受け取り、変容させることにした。
階段をひとつのぼる。
今までできてしまったものはしょうがない。
でも、これからできていくものは、自分なりの責 . . . 本文を読む
あるものを100倍の倍率にしてみると、部分は精密に鮮明によく見える。
ただ、それは方眼紙で言えば100マスの中の1マスを拡大してみていることになるので、その時、残り99マスを見落としている、ということに自覚的である方がいい。
その1マスで得られたものが、残り99マスにも当てはまるかどうかは、わからない。
物事を部分的に精密に見るということは、全体を見落とすということとトレードオフになっている。
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