時間という感覚。
こどものときに考えていたこと。
当時の自分は、自分の身体感覚の時間の中を生きていた。
そこに時計やカレンダーやグリニッジ天文台などの時間は必要なかった。
時間というものの本質で感じていたものは、時とは、自分の身体と宇宙の時間とが尺度になっているということ。
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何も尺度がない場所を想像してみる。
短期的な時間間隔で基準になるのは自分の呼吸のリズムと心臓のリズム。
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先日は田口ランディさんの「いのちのエール」の講演会。
森のイスキア・佐藤初女さんとの15年にわたる交流の中で、ランディさんが受け取ったもの。
→○田口ランディ「いのちのエール - 初女おかあさんから娘たちへ」(2016-05-17)
人は死を迎える時、次の世代にそのいのちを渡そうとする。何らかの形で。
それを受け取るか受け取らないかは、生きている人の自由意思にゆだねられている。
初女さんから . . . 本文を読む
中学生との対話。
仕事のことを聞きたいと、要望があった。
なぜ自分が今の仕事についたのか、、、、。
自分でも考え直してみる。
外的な要因ではなく、内的な必然的な動きに耳を澄ませて。
出生時、幼少期、小学生、中学生のプロセスを思い出しながら、聞き手の目線で話したい。
いのちは自分へと受け渡され、そして次の世代へと受け渡される。
いのちは、必ずしも物質的なものばかりではなく、そうして受け渡され続け . . . 本文を読む
武満徹さんは、文章も音楽も、広い意味でのコトバや表現で同じ地平にあり、同じ質として表現されるもののようだ。
質を表現するには、質によってしか語れないことを、武満徹さんや村上春樹さんに触れるたびに、思う。
EGO-WRAPPIN’「ROUTE 20 HIT THE ROAD」の融通無碍で自由自在な音楽を聴きながら、ふと武満徹さんのコトバと共鳴するものを感じたのです。音楽の質に関して。
→エゴラッピ . . . 本文を読む
エゴラッピンの日比谷野音LIVEは本当に素晴らしかった。
中納良恵さんが舞台に立つと、視線や存在が空間を切り開いて、その空間へと音が導かれていく。
ボーカルやバンドの自我が主体ではなくて、空間そのものが主体になっている。
だから観客もいつのまにか空間に溶け込んで行く。
空間が動きだす。
音は粒子として空間の構成要素となっていく。
音は波紋として広がり、さらに空間そのものを振動させる。
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熊本の松村篤史さんからの御依頼で、文章を添えました。
故郷熊本にてシリーズ「アートを買おう、芸術家を応援しよう」を展開されます。
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体を維持するためには毎日食事が必要ですが、日々休みなく働いている心にも栄養が必要です。
心の栄養は美や芸術です。
わたしたちは、日々の暮らしを営む生活空間からも影響を受けます。
心と住まいの栄養として、美術作品を自宅に飾り、暮ら . . . 本文を読む
土日は八ヶ岳へ。
少し時間が余り、<清春芸術村>へ偶然迷い込む。
そこには小林秀雄の桜があり(鎌倉の小林邸から移植されたもの)、梅原龍三郎のアトリエがあり、ジョルジュ・ルオーのステンドグラスとルオーの次女から贈られたキリスト像のある礼拝堂があった。キリスト像の写真を撮ると、頭部が光に包まれていて驚いた。
レストランには岡本太郎の原画もあった。銀座の吉井画廊の方がされているので、質の高いものば . . . 本文を読む
尺八奏者の中村明一先生のCD発売記念(「虚無僧尺八の世界 京都の尺八 明暗真法流 鶴の巣篭」)にて、よみうり大手町ホールのLiveを聞きに行きました。
尺八の音。
立体的で広がりがあり伸縮自在の音世界で、本当に驚愕。
静寂の中で、一音一音が自立しているのです。
一音一音が自立し独立した成人のよう。互いに響き合い、それでいて繋がり続け(循環呼吸法のためか、息つぎがほとんど分からない)、本当に . . . 本文を読む
2016年6月旭岳山開き
先日、北海道の旭岳に山開きで行った時の写真。
山の紫外線が思いのほか強く、一時ゆでタコ状態だった。
こちらにも同じ写真あります。
→○カムイ ミンタラ(2016-06-27)
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Noism劇的舞踊『ラ・バヤデール―幻の国』神奈川公演。
すごかった。
極めて高い美意識。それを支える高度な身体技法。
今回は、そこにIsseyMiyake宮前さんの衣装デザインの美も入り込み、ファッションの未来の可能性も垣間見た。
田根さん、オリザさんとのFusionも奇跡的。
いままで体験したことのない空間性と時間性。すごい体験。
とにかく踊りの質が高くて素晴らしかった。
質というのは . . . 本文を読む